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デレラの読書録:宮内悠介『ラウリ・クースクを探して』


『ラウリ・クースクを探して』
宮内悠介,2023年,朝日新聞出版

「何しろこの国では、誰もがキメラみたいな歴史を自分のなかに飼ってるんだから」

(p.180)

救済の物語は、復讐ではなく、承認と赦しの物語であるべきかもしれない。

暴力的な復讐劇とは別の仕方で、偽史を紡ぐということ。

偽史、その虚構性が極限に達したとき、逆説的にリアリティが立ち現れる。

エストニアというIT先進国は、東西冷戦の影響を受けた歴史を持つ。

その国で、有ったかもしれないであろう少年少女の物語。

キメラみたいな歴史というのは、ようは民族的な対立をアイデンティティに含んでいるということだ。

対立する民族の子らが、少年少女時代に友人関係であった、ということは、冷戦前後では当然にあったことであろう。

いや、今もまだ起きていることだ。

世界で起きている民族対立的な紛争の裏には、実は友人関係であった子どもたちが銃を持って戦場で対峙している可能性がある、という生々しい事実。

民族間、国家間の対立を、イデオロギーや国家代表の対立に単純化するときにこぼれ落ちる、少年少女の歴史。

それを、復讐劇とは別の仕方でえぐり出す筆致。

複雑さに翻弄される人間の生き様への視線は、いま目の前で起きている出来事とその周囲の反応に対する確かな批評性を宿しているだろう。

紛争対立は、片方が良いもので、もう片方が悪いものではない。

勧善懲悪ではないのだ。

その複雑さを飲み込むことは難しい。

しかし、手放してはならないことだろう。

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