見出し画像

矛盾を孕む言葉たちの中で。

最近思うのが、SNSのつながりって怖いのかもしれない。ということ。
既読が早いとか遅いとか、写真や動画とか
なんだかんだで第一印象が決まってしまったりして。
簡単に人と繋がりやすくなったし、発信もしやすくなったけれど、
言葉って難しいなと改めて感じることが増えた。
日本語自体も怖い。というか難しい。
日本語は美しい言語だと思う。
漢字一文字一文字に意味があって
含みを持たせた言い回しがアーティスティック。
しかしその日本語の多義性に悩まされることもしばしば。
何度も起こる誤解、認識の違い。
まわりくどいことからくる焦燥感。
まあいろいろと募るわけだけれど、なんとなく感じるのは
なんか、いろいろと感情やらこだわりやらが出てきはじめた、ということ。
それも、やりたいことに向かって動けているという証拠なのかもしれない。


人生生きていると、それはまあたくさんの名言に出会う。
高2のころから作っている格言ノートはまだ埋まりきらないままだけど
何度も助けられ、いざという時に勇気をもらってきた。
でもたまに、それらに矛盾があることに気付く。
人生は暇つぶしで、死ぬまで気楽にのんびり生きればいい、とか言いつつ
人生は一回きりでやれることだって限られているから、やれることやれるだけやれ、とか。
ある程度続けなきゃ成果が出ないのは当たり前、とか言いつつ
諦めが肝心で他のことを始めることに時間を割こう、とか。
まあ、名言はいろいろな局面で生み出されている。
同じ状況じゃないのにあてはめようとしていること自体
間違っているのかもしれないけどね。


いろんな人にいろんなことを言われる。
どの言葉を信じたらいいんだろう。
いや、そもそも
「信じなきゃいけない」とか「信じるべき」
なんて言葉はないのかもしれない。
言葉はいつも矛盾をはらんでいる。
それを分かったうえで、進まなきゃならないのかもしれない。
今の自分の状態で、どの言葉が役に立つんだろうって、
どの言葉を信じればいいんだろうって、
どんな言葉が好きになれるだろうって。


人はみんな、知らず知らずのうちに言葉を選んで生きてきたのかもしれない。
そして、その逆の言葉にもまた、助けられて生きているのかもしれない。


今までずっと、休む=ずる休みだと思っていた。
一日何もできない日が続いたりすると、罪悪感で夜も眠れないときがあった。
双極性Ⅱ型が発覚して、そこからいろいろとあってタスクで生活を埋め尽くし続けた結果、ぶっ倒れた日が2日あった。
でも、人生長いんだからたまには休んでもいいんだよって、
そう言ってくれた人がいたからこそ、今救われてる気がする。
まだまだ自分のキャパがわからなくてダウンすることもあるけれど。
言葉って都合よく使ってもいいのかもしれない。そう思えた。


「この世で何を残せるだろう」
よく考えるテーマ。
人生何があるかわからない。
いつ死ぬかもわからない。
人生上手くいかないことばっっっっかり。
悩むこともいっっっっっぱいだけど。
人生満たされてないというのが肝なわけで。
矛盾をはらむ言葉たちに囲まれて
今の自分が好きな言葉を集めながら
何かを成し遂げたい!まだまだだ!という渇望をもって
生きるんでいいのかもしれない。

https://youtu.be/goyXixKlWIg?si=Z7McMDKWg4o8Cqw1


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?