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Driver!

 最近よくドライブに連れていって貰っている。同じタイミングで免許を取得した友人と行くのだがもっぱら車を出してくれるのは友人で、保険未加入の私は助手席での盛り上げ役を買って出る。何度目かだなんて考えることを思い付かなくなるほどドライブをして気付いたのだが、車は疲れないうえに速いのだ。しかも冬は暖かいし、どうやら夏は涼しいらしい。そんな快適個人空間を持ち運べるようになってしまった弱冠二十歳のクソガキドモが、ドライブをしない理由を探す方が難しい。とはいえ夜行性の我々は深夜に意味もなく車を走らせてばかりで、目的地を定めてドライブをすることが少ない。そんなドライブを重ねる内に車は移動手段ではないと気付く。ツマラナイ映画のように代わる代わる景色が映る車窓を肴に昔話と未来話に興じるための個室なのだ。よく駄弁った散歩道やらコンビニを軽々と越えて、全く知らない土地に着くなんてことがざらにある。昨日もそうだった。先述の通り、景色はガラス一枚を隔てただけでまるで映像のように魅力を失くして味気ないものになる。ただ快適さと便利さには代えられず漫然と車に乗らされている。だがつい先日そんな傲岸不遜な車の面を歪めてやった。敢えて車を脇に止め、知らない道を散歩してやったのだ。ザマァミロ!
 生きた体験とでも言おうか。肌を突き刺す寒さと服に積もる雪、濡れた路面に足をとられないよう踏ん張って歩くものだから口から白い息がリズミカルに吐き出される。運動不足かなと思うと同時にドッドッドッと心臓にエンジンが掛かるのを感じた。あぁこの世に在るとはこういうことかとすら思う。昔は自転車やら徒歩やらしか無かったもので、地に足をつけて生きるしか無かったのが、免許を取るやいなややれ車だのに頼り世界の観察をやめてしまっていたようだ。ほんの数十分の散歩でしかなく、帰り道もまたつまらぬ車窓を眺めることを余儀なくされたのだが、この体験は確実に私たちを若返らせた。客観的視点を排除した主観的視点と経験だけの世界、スマートフォンはポケットにしまう。自己を確立しえない環境は広いプールの浮力に身体を任せて漂うように気持ちが良かった。私は私の影を確認せずとも確実にそこに居たと確信できるし、友人よ、君の姿も私がしっかり確認していたから存在の曖昧さに怯える必要はないのだ。私ももう震えていない。ただそこに在る理由をこれまで難しく話してきたが、なんだこんなものだったのかと再認識した。
 抽象概念や形而上学的な存在の在り方に怯える必要はない。結局なにも考えていなくても私や君は確実にそこに居た。象牙の塔から出るのに時間はかかってしまったが、それが先に進まない理由にはならない。せっかくだから歩いて進もうと思う。綺麗な花が咲いているかもしれないし、途中コンビニにも寄りたいから。

免許取得当時の曲⬇️


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