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「学生ブログランキング」の思い出 果たして彼らはどこからやって来て、どこに行ったのか

ただひたすらに、何かを書きたい衝動にかられる時がある。

記憶によれば、筆者が高校生〜大学生の頃に「学生ブログランキング」が流行っていた。それこそ、筆者が大学受験を迎えた年の前後、2005年-2008年くらいが流行のピークではなかったかと記憶している。一世を風靡した「生協の白石さん」が2004年であったことを考えると、なるほど、その後に学生ブログブームが訪れるのが自然な流れだったとして、確かに、そのくらいの出来事だったと考えるのが妥当であるように思う。

その一角に、「学生ブログランキング(通称:学ブロ)」はあった。そこかしこに大学生が日々の駄文を書き連ねていて、今考えるとオナニーの垂れ流し以外の何ものでもないクソブログが大量に並んでいたのだと思うが、それこそ大学受験を控えた筆者は、その妙に妖艶で、閉じているのか開放されているのかよくわからない界隈の雰囲気に、外から羨望の眼差しで眺めていたように思う。今考えると一体どこに憧れる要素があったのか、謎すぎて振り返る事さえも恥ずかしい。でも、あの界隈は確かにあの時、光り輝いていたように思う。

当時「生協の白石さん」はその圧倒的なアクセス数から殿堂入りで別格扱いであり横に置いておくとして、今記憶の思い出す限りだけでも、実にバラエティ豊かなブログが当時の学ブロ界隈には並んでいた。残念ながら今となっては正確なブログ名を思い出すことはできないが、はあちゅう、ねじ巻き鳥、肉欲企画が幅を利かせ初めていたのもこの頃のハズだ。ちなみに筆者は、はあちゅうが嫌いだ。しみけんさんは好きだ。憧れている。閑話休題。当時は他にも、伝きり(伝説のきりかぶ)、コンビニブログ、お茶大生の亀ちゃんなんてのもあった気がする。たしか「性教のヤマベさん」なんていう頭お花畑のブログがあったことも、このnoteを書いているたった今、思い出してしまった。当時一世を風靡したあいつらも、今ではみんないなくなってしまった。彼らは今、一体どこで何をしているのだろう。筆者の青春時代の思い出とともに、懐古してみたい。

ここから筆者の個人的な記憶をあげさせていただく。まずは「とのログ」の「との」さん。日比谷高校→東大落ちて中央大法に進学(らしい。ブログしか読んでないので本当なのかは知らない)。日比谷高校でのオケ部なんかの出来事を日々まとめた赤裸々な日記がとても楽しかったことを覚えている。とのさんの同級生の「どいま」さん。同じく日比谷高校から慶応SFCに進学したらしい彼の日記も同じく、同世代の高校生として、読んでいて楽しかった。次、東京外大生でヒッチハイカーの「y-o-y(ひょーい、と読むらしい)」さん。筆者は大学生の頃、一人のブログ読者として、それまで面識も何もない彼に声をかけ、彼と一緒にヒッチハイクで沖縄まで行った経験がある。ヒッチハイカーというからにはさぞアグレッシブな方を想像していたのだが、初めてお会いしたひょーいさんは、寝不足なのか目の下に巨大なクマとやせ細った体つきで、大量の飲み薬を服用されている状態であり、よくこんな状況でヒッチハイクやるなあと感心したことを覚えている。ていうか家でおとなしくしていた方が良いんじゃないすかとつい言いたくなったのは内緒だ。

次。バカマラソンのY平(わいへい)さん、オーシャンまなぶのtaks(たくす)さん、シエルさん、ゆうなさんは大学の先輩だ。よく学内で彼らが雑談しているその席に、読者として混ぜてもらったこともある。ちなみにこの時、筆者は初めてオモコロに入る前の加藤さんに出会っている。確かtaksさんと加藤さんは当時、女子高生に土下座をし続け、そして頭を踏まれる快感について一心不乱にブログに書き連ねていた時期だったと思う。まさにオナニー以外の何ものでもない。そういえば、学ブロ界隈には東大生ブロガーもいた。偏プラ(偏差値とプライドとクオリティ)さんの、東大構内を「なのは」のコスプレで歩き回る動画は2ちゃんにも投稿されていて、それこそ当時ちょっとバズったはずだ。それからシーボさん。今振り返ると、当時のブログをきちんと残していて、今でも律儀に更新し続けているのは、ザ・一般人を地でいっていた彼くらいだと思う。たしかシーボさんはブロガー仲間と結婚している。

そんな隆盛を極めた学ブロ界隈。最盛期には、オフ会なんかも頻繁に開かれていた。それこそ何を勘違いしたか、全国ツアーを行うブロガーもいれば、肉欲さんは代々木公園で人を集めて昼間から酒を飲んでぶっ壊れていた。筆者も何回か意気揚々と参加し、ブロガーたちと交流し、ふわふわとした不思議な感覚に包まれていたのを今でもよく覚えている。ただ、残念ながらキナくんのような問題が起こり始めたのもこの頃だったと思う。人が増えれば必然的に発生する、コミュニティ内のいざこざ。気づけば、これまでのどのコミュニティも繰り返してきた歴史と同じように、学ブロ界隈のコミュニティは、風のように消えていった。前述の通り、今となってはシーボさん以外のブログを探しても、404 Not Foundにしか、たどり着けない。


この前のFF11の思い出でも書いたけれど、現代社会はコミュニティに溢れている。それぞれのコミュニティがまるで生き物のように、そこに集まる人たちの人生を取り込み、それこそ切っても切り離せないレベルの密度で時空を形成していく。さながらアメーバに侵食されていくかのように。あるいはブラックホールに飲み込まれていく光のように。どう形容して良いかわからないけれど、SNSを中心としたネット界隈のつながりは確かに、僕らに「誰かと繋がっている」という何とも言えない安心感と、かけがえのない様々な思い出を作ってくれる。時として日常生活そのものとなってしまうほどに。

そしてそれは、ある日突然終焉を迎える。誰かが物理的に破壊するわけではないし、誰かが「やめよう」と周りに宣言するわけでもない。ただ誰かが、そして誰もが何となく「ああそろそろ辞めどきかもな」と一度感じ始めるだけで、その思いが周囲に伝染し、自然と終焉に向かっていく。そしてこんなに「誰かと繋がっている」ことに飢えている僕らの渇きは、一生満たされることはなく、また次のコミュニティを探し続ける。


ここまで書いて、そう言えば、よっぴーさんが2013年にオモコロで「【今更】あれだけ流行ったテキストサイトが何故廃れたのか考えてみる【考察】(https://omocoro.jp/kiji/4190/)」と題した記事を投稿していたことを思い出した。興味深い記述があるので、その一部を抜粋したい。

"(中略)となると、やはりサイト運営をする上で、一番大きなモチベーションとなるのが
「人との出会い」であります。
少なくとも僕にとってはこれが本当に大きかった。
サイトを運営していたおかげでオフ会に誘って貰ったり、憧れのサイトの管理人さんに絡んで
貰えたりするのが凄く嬉しかったのであります。
「ろじぱら」に貼られていた自分のサイトへのリンクを発見した時、どれだけ嬉しかったか。
「ウキウキ抜き」のカガミさんと一晩中やってたチャットがどれだけ楽しかったか。
文中リンクが消え、オフ会が消え、他サイトと絡む事なく自分のサイトを運営する、っていうのは
やはり寂しいのです。
しかしながら漠然とそういった「孤立したサイト」を望む界隈の空気感は確かに存在おり、
コミュニティとしての機能が消えたテキストサイト界隈は、明らかに魅力が半減していました。
mixiなどのSNSに人が流れて行くのは自然の摂理だったのかも知れません。"

時は超えて2020年7月、同じくオモコロにダ・ヴィンチ・恐山さんは「【黒歴史】ニコニコ動画が青春だった人のあるある100選【鳥肌注意】(https://omocoro.jp/kiji/206855/4/)」と題して次のように語っている。

"(中略)いろいろな黒歴史とともにあり、内容も決してクリーンとは言い難く、他の動画サイトに
押されているニコニコ動画。
ですが「あの体験は唯一無二だった」という気持ちをニコニコに抱いている人々がたくさんいます。
それではこれからも…
Have a nice
niconico."

mixiもニコニコ動画も、僕らにとってはもはや思い出となってしまった。

筆者の個人的な感覚ではあるが、おそらく、ネット界隈の1つのコミュニティとしての寿命なんて、5年くらいなのではないかと思う。それこそ10年続いているコミュニティサービスを、僕は知らない。twitterも、facebookも、そしてこのnoteも、いつか遠くない未来、僕らにとっては思い出となる日が来るのだろう。

僕らをここまで焚きつけるコミュニティへの飢えと、そして廃れ。今日も誰かとの繋がりを求めて、僕はnoteを投稿し、twitterにつぶやき続けるのだった。


ちなみに風の噂によると、「生協の白石さん」ブログの管理人は、今やマッチングアプリの社長をやってるらしいです。いやマジで意味がわからん。やはり特殊な界隈だったのかもしれませんね。

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