1789再演

この世の中に嬉しい事がひとつだけあるとします。それ以外はどうしてもそうは認定できない側面があったりする。

そうなれば、その嬉しい事は、間違いなく「1789再演」という言葉で表されるんです。僕が描く世界では。

1789

フランス革命が起きた年

その出来事をフランスの人たちがミュージカルにしました

それを宝塚で上演したんです。


思い出す度、心の底からの喜びと同時に、自分がとても辛い状況にあった事を思い出します。


今は仕事でも評価され、偉そうな立場になった僕。


あの時は自信もなく、なんだったらその仕事を辞めて、舞台の仕事につきたいとすら思っていました。

繰り返してしまうミス
成果の見えない繰り返しに思える仕事
当時出会った大切な友人たち
何かを変えたい気持ちと
何も変わらないと思える絶望感


それは僕には声に出来ない言葉でした。

宝塚版には大きな特徴があります。
通常、恋人同士とするトップコンビが恋人とされなかった事だけではなく、

立場の違う人たちがそれぞれ苦しみと報われない想いと、そして、生きていくためにする選択を、

一幕の最後に、「声なき言葉」として歌い上げるんです。

食べるものも無く苦しかった過去、
言論に訴えているのに受け入れられず、無碍にされる怒り、
身体を売る事でしか生きる術を得られなかった少女、
希望と思える何かが溢れてくるのに、方法が見つからない
そして、心から愛する人と一緒になれない苦しみ


それらが「声なき言葉」として歌われました。

当時の僕は、なす術もなく、ただ、幕間にトイレに駆け込み、止まらない涙を、拭き続ける事しか出来ませんでした。

歴史は言葉で語られます。
彼らの言葉が結晶として結実したのが「フランス人権宣言」だったのでしょう。
そして、この作品は、そこに至るまでの、声にならない言葉を積み重ねて伝えてくれました。

仕事で何をやっても上手くいかない。
好きな人が応えてくれない。
愛する人の裏切りと虚言。

どうしようもない時、もしかしたらその時に、積み重ねていた事が、未来につながっているとしたら。


1789再演

それは希望そのものなんです。

ありがとうございます。
ただ、嬉しいです。

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