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私の作りたい未来の原点


20代の頃、手話を学ぼうと思い立って
本や動画を見漁った時期があった。

理由はシンプル。
聴覚に障害がある友人と話をしたかったから。
友人、として話を交わしたい、
コミュニケーションをとりたいと思ったからー。

そんな気持ちもつかの間、出産という
ライフスタイルの変化もあって
「手話を学ぶ」姿勢も機会も忙しない
日常に埋もれていったのを覚えている。

子供が生まれ、発達障害という名を知り、
障害にうちひしがれ、受容にたどり着いて

今はこの子供たちが持つ《発達障害》という
目に見えない困り事を、世の中との壁を
溝を埋めるために活動している。

そんな20代に学びたいと思っていた手話を、
今度こそしっかり身につけてやると
自分に誓った出来事があった。

それは、
スーパー銭湯での出来事ー。

3人のママさんがそれぞれの子供たちを
連れて湯船に入ってきた。
身振りで会話する手の動きを目の前で
繰り広げられていて、その20代の時の
感情がそっと灯った感覚を味わいながら
その家族たちを眺めていた。

2歳になったばかりだろうな、
小さな体で湯船から身を乗り出して
目の前に移る壺の形をしたお風呂に向かってきた。

ちょうど私が浸かっていたお風呂で、
丁度どこも「空いていない」状態だった。

咄嗟に出ようと体を一瞬動かしたと同時に
その子のママさんが手を引き、
手話で何かを伝えていた。

おそらく、
《今は浸かってはるから、空いたら
ママと行こうね》という文言だと思う。

おおよそ2歳のその女の子は、
ママさんの素振りにしっかりと頷いていた。

そこで私の心がザワザワとしはじめる。

もう上がるから交代しよう。
その女の子に、そのママさんに
声をかけたかったのに、
手話が分からないということだけで
その壁の大きさに体も心もすくんでしまった。

その瞬間に20代の頃の感情が
走馬灯のように頭を駆け巡り、
後悔という感情の波にさらされた。

「あの時しっかり学んでいたら。」

「交代。や、どうぞ。の単語だけでも
覚えていたのなら声をかけられたのに。」

その感情に心が侵されているのが
自分でも手に取るように分かった。

そこでふと、なんでこんなにも
手話を学んでおけばよかったと後悔の念に
晒されているんだろうと思った。

ああ、そうだ。

私がして欲しいことだからだ。


発達障害を持つ子供たちを育てる日々の中で
数え切れないほどの嫌悪感と疎外感に苛まれ、
星の数ほど悔しくて涙をこらえた瞬間があった。

バスで癇癪を起こす息子に
アナウンスで注意されたこと。

泣き叫ぶ息子をみて哀れんだ通行人から
抱っこぐらいしてあげたらいいのに」と
通り越しに呟かれたこと。

特性を少しでも知っている人がいてくれたのなら。

「お母さん、
この子の好きな物聞いていいですか?」と
声をかけてくれる人がいたのなら。

「癇癪辛いですよね、切り替えられる方法
何かありますか?」と
呟いてくれる人がいたのならーー。

私は救われていたからだ。


これは私のエゴなのかもしれない。
綺麗事だと言われたらそうなのかもしれない。

だけど、
少しでも手話が出来たのなら
きっとその娘ちゃんも、ママさんも
心は暖かくなったはずだ。

誰だって、誰かに「一人の人間」として
接しられたいし声もかけられたい。

障害がある、ないに限らずに
寄り添ってくれる人が1人でもいるだけで
心が暖かくなるし、近しい人じゃない
「誰か」と会話するだけで満たされるものがある。

自分が壁だと感じているものが、
壁じゃないよ、と肩を叩いてくれた時ー。
救われる何かがあることを
誰よりも私が分かっているから。


私はこの発達障害という中を
描き、繋ぎ紡いでいくためにも
学び続けたいと誓った瞬間だった。

それが私の伝えたいものであり、
原点であるんだと再確認出来た1コマだった。




✐_end


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