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夢は話すと消えてなくなるけど

悪い夢を見た時は起きたら真っ先に誰かに話す。話せない時は、今だったらSNSに吐き出して悪夢が正夢にならないようにする。逆にとってもいい夢を見た時は自分だけの秘密にして、その夢が現実になるように一人温める。そんなことを今までずっとしているように思う。小さい頃に母に教わったことをこんな年になってもずっと。

今朝の夢は最高に良い夢だった。それが現実になるのであれば誰にも言わずにいるのだけど、誰かに言っても言わなくてももう叶わない夢。今は亡き父が登場した夢だったからだ。以下は夢のあらすじ。

私は山の一軒家に家族で住んでいる。車一台がやっと通れるような道の先にある一軒家。その暮らしは自然豊かだし人もあまりやってこない静かなものだ。そんなある日、見慣れない車が2〜3台やってくる。対向車もすれ違えないような細い道を器用に運転してやってくる車。そこから出てきたのは私の実家周りの人たち。いとこやいとこ家族、弟家族。そして父も。父はいつものように照れ臭そうに笑って「よお!来てまったわ」とぼそりと言う。そんな父は病気の後遺症で左手が不自由そうで手袋をしているけれどその他は元気そうで山道もすたすたと歩いていくのだ。そして、私の夫の家にもこれから行こうと言う話になり、父が運転していくことになる。父が運転することに驚くけれど、その運転は以前とは違い穏やかで慎重なものになっていた。

と夢はここまで。途中、私の子供達(父からすると孫たち)との再会サプライズを企画したりもして、全編ほのぼのムード、そして父の良いところばかりを集めたような夢だった。

つい最近、夫と父の最期について話したこと、お盆にもお墓参りにも行けてないことがきっと頭の中に残っていたのだろう。だからそれをつなぎ合わせたような夢を見てしまったのだけど私は久々に父の笑顔に会えて元気になった。つくづく人は亡くなってしまっても消えて無くなる訳ではないのだと思う。物体として無くなっても人の記憶の中に残ったものは消すことが出来ない。父は良いところばかりの人ではなかったけれど、思い出すのは今日のようにあの照れた笑い顔だったりする。人の記憶は多分自分に都合の良いところばかりを残すのかもしれない。経年劣化ならぬ経年美化をしてしまうのかもしれない。そんなことも分かった上でも夢で父に会えたのは本当に嬉しかったのだ。夢は所詮その人の記憶であったとしても、今回は父が私の様子を見に来てくれたのだと思いたい。誰かに見守ってもらえてると信じたい。これを力にして今週一週間もパワー切れることなく頑張ろう。

ちなみに今日のタイトル写真は、父が好きだったキリンラガーの写真をお借りしました。「わしはラガーしか飲まん」が口癖だったもんね。

来週は秋分の日。コロナの蔓延状態はこれからも不透明なままだし今のうちにお墓参りに行こうかな。もしかしたら今日の夢は父からの催促だったかもしれないし。

今日の朝活書写。今朝はエアコンを消し忘れた?と思うぐらいの冷えを感じての起床。季節は確実に進んでいるのかもしれない。(ここで油断すると残暑というやつにやられるから危ないのだけど>笑)。

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仕事帰りにニュースサイトを観たら、私よりうんと若い人がまた亡くなったというニュース。誰かの為に生きるなんて荷物が重すぎるからそんな事は思わなくていい。でも生きていてくれる事で、その人がしている事が支えになってる人は必ず居る。この世の中じゃ光は見つけにくいかもしれないけど生きていればこそ。

Twitterで見つけた画像を忘れないように書いてみた。書きながら背筋がゾッとした。ファシズムは国の『えらいさん』たちだけが作るんじゃない。そこかしこで可視化されてきた個々の芽に自ら気づき心していく事でしか作れないし守れない。誰かに何とかしてもらおうという怠け者に心地いい暮らしや未来はないのだと思う。分かりやすい言葉や感情に流されてはいけない。それぐらい手間がかかるのが民主主義なんだろうと、春からずっと感じ続けている。

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私にはこの初期症状のどれもが明らかになって来ていると感じられるけれど、人によっては感じないらしい。正常化バイアスが強いんだろうか。不思議。

正常化バイアス(ウィキペディアより)正常性バイアスとは、認知バイアスの一種。社会心理学、災害心理学などで使用されている心理学用語で、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。