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二度とない日々の中で変わらないもの

18歳の時から毎年冬と夏に地元へ帰省する。その時必ず連絡をして会う人がいる。7年間、私が留学していた1年間を除いて、年に2回必ず会う。

今でこそ初対面の人ともそれなりに会話できるまでに成長し、たくさんの人と繋がりを持てるようになった。しかし、子供の頃の私は人見知りが激しく、交友関係は片手で収まる程度の、それに加えて進学と同時に関係が疎遠になってしまうような細々としたものだった。

その中で彼女だけが唯一、図太く、切っても切れぬ関係が続いている。
普段はほとんど連絡を取らないが、それでも会うと腹を割って話せる10年来の仲だ。

友情は、植物に例えるならば根の部分にあたると思う。普段は見えないが、年月を重ねて徐々に深部へと伸びていく。適切な栄養があれば根は強かに育ち、どっしりとした土台の上で見事な花が咲く。反対に、過度な水や日光に当てられてしまうと腐っていき、放っておくと二度とは戻らない。
根は土に包まれていて、その全貌を見ることはできない。

私たちは共に年を重ねた。日が暮れるまで外で走り回ったり、思春期の恋の悩みを相談したり、覚えたての酒を夜通し飲んで騒いだり、そうして今は夜の凪いだ陸奥湾に面したベンチに並んで腰掛けている。
住む場所も、背負っている荷物も、見据える未来も、何もかもが違う。知らない一面もたくさんある。
ただ、互いにこの先どんな選択をしたとしても、それを受け入れ尊重する意思が互いに向けられていることだけは分かる。

根の実態は測り知れない。
しかしながら、海を望む穏やかな時間は確かに存在している。

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