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「今」を気付く

近頃の朝焼けはいつにも増して美しい。

昨日は西洋美術の中でよく目にする、神や天使が空に佇んでいるような晴れ晴れしさと希望が満ち溢れていた。
“真っ青”が本当によく似合う透き通った空間に日差しが差し込み、雲は黄金色に輝いていた。
それが金平糖のようにも見えてまるで夢の中を歩いている気持ちになる。

今日は赤がより目立つ。
火照ったうね雲は秋の醍醐味である紅葉の知らせをしているようにも見えなくもないが、食道楽の目を通してみるとどちらかというと無数に並ぶ鮭の切り身に思えてくる。

先月の頭には、空に浮かぶ背の高い雲を指して「ラピュタあるかな」などと童心を持って姉とはしゃいでいたのがすでに懐かしい。1ヶ月も経てば朝日ですら哀愁染みてくるもんだから、「そうだよな、空だって思う事色々あるよな」とか戯言を抱いたりする。

最近は「今を生きる」ことを少々等閑に付してしまっていた。
作業をしている時や食事、歩いている時など常に片手に持ったスマホや本から情報を得ながら頭では「この次なにしよう」なんていうふうに未来の別のことを考えている。
特に、何か考え事をしている時に傍らにお菓子などのつまむものがあるとお腹が空いている訳でもないのに延々と口にしてしまう。食べたいと思っていなくても口の中が空になると食べ物を放り込んでしまう。気付いたらあれだけあった袋の中がもぬけの殻になっていることなんてザラにある。目の前の事に集中せずに未来のことを考える。

どうやら私は食べ物を食べていたわけではない。未来を食べていたようだ。

なんだか人生における大切なことを忘れてしまっていたような気がして、今日の朝にヨガと瞑想を行ってみた。とはいってもどちらも見よう見まねで行う素人動作ではあるが、実行を決意したことに意味があるんだと自分を言い聞かせる。
瞑想に関しては(ヴェトナムの禅僧は著書の中でマインドフルネスという言葉を使っている)以前座禅を指導していただいた僧侶様の言葉を思い起こしながら行った。ーーその方とは、恋人と山形旅行中に縁あってお知り合いになり、かねてより座禅に興味を持っていた我々を快くお寺に迎えて座禅を取り仕切ってくださった。大変貴重で素晴らしい時間だった。ーー
ながら作業が常態化している身にとって、呼吸のみに集中するのはひどく難しい。そのうち組んでいる足の痛さが気になってくるし、気を保たないとすぐ意識が明後日の方に向いてしまう。ゆっくりと時間をかけて息を吸って吐き、穏やかな水に揺れる角の取れた小石をイメージする。そうしていくうちにまるで本当に根を張ったかのように体がずっしりと重くなってきて(きっと痺れた下半身のせいでもある)、己が己の重さを以てこの地に坐している感覚が研ぎ澄まされていく。これがいわゆる大地と一体化しているということなのだろうか。終えた後は、流れる時間を惜しみなく使ったような充足感に包まれる。
日々の生活の中で常に今この瞬間に気づくことはまだまだ時間がかかりそうだが、一日あるいは一週間のうちの数分でも意識出来たら。今の私にとっては十全に生きることに値する。

人生は忙しい。働かないと生きていけない。家族や友人と会う時間、美味しいものを食べる時間、心が満たされる時間を得るために必死に動き回る。目まぐるしく変わっていく毎日の中で、息をするのを忘れないようにしていきたい。
休んでいても働いていても、全て自分の時間であることを噛み締めていたい。

焦らず、怠らず、一生懸命に。

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