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ハイソぶっても野卑滑稽。

 子供の頃、両親は毎年我々三姉妹を岩手や秋田にある娯楽施設に連れて行ってくれていた。夏のけんじワールド、冬の安比高原はマストで、あとは岩手の大森山動物園や龍泉洞だったり、秋田の男鹿水族館だったり。GWに小岩井農場へ出かけ、あまりの車の渋滞ぶりに結局たどり着けずに近くのイオンモールに行先変更になったこともあった。

 東北6県は押並べて面積が広い。従って、県外に出るということは海外旅行に行くぐらい一大イベントだった。おにぎりを持って早朝に出発し、そこから父が3,4時間車を走らせる。8人乗りのファミリーカーに、車酔いしやすい次女は助手席に、長女と母が中間座席に、末っ子の私が後部座席を一人占領していた。三半規管がしっかりしていたのか、進行方向とは逆向きに座って漫画を読んだり、寝そべってゲームをしたり、当時の私にとっての3時間は永遠のように感じられた。

 それに比べて関東は狭すぎる。30分もあれば簡単に他県へ渡ることができる。そして私は今、毎日荒川を超えて東京へ入国する。毎日毎日、心太のように電車に押し込まれ、吐き出されを繰り返す。
よくこうも人が湧いてくるもんだ。皆故郷にでも帰って悠々自適に生活したらいいのに。というのはおそらく我々心太誰しもが四方八方に張り付く他の心太に対して思っているだろう。
 都会は人が冷たいなどという言葉を時折耳にするが、これだけ仰山人がいれば全員に目を配る時間なんて一生あっても足りない。ホームに降り立てば、目の前の小さい箱に釘付けになりながら背負っている鞄をぐいぐい押しあて道を拓いていく。狭いからしょうがないのだ。皆、他人に目を掛けた途端に足元を掬われるような不安定な場所でつり革も掴めずに仁王立ちで踏ん張っている。
 じゃあ反対に田舎の人は温かいのか?そうとも言い切れない。小さいコミュニティーには排他的感情が付き物だ。娯楽が少ないからか、近所の人のスキャンダルを虎視眈々と狙っている。強い仲間意識があるともいえるが、所属する集団の理念に自分の意識がそぐわなかった場合の孤独感はひどく虚しい。

 電車の窓から覗く荒川は仁川空港からソウルへ向かう時を思い出す。私が渡韓したのはいずれも寒い時期だったから、冬の澄んだ空気を纏った海はいやに神秘的でなぜだかノスタルジーな感情が沸き上がった。
朝日で輝くのも、夜の闇を抱えるのも、どちらであってもその水面は美しい。そう思うのは海の近くで育ったからなのか。

 まったく都会は便利な街だ。車なんかなくてもどこへでも行ける。家をでて徒歩圏内におしゃれなカフェがある。冬は雪かきしなくてもいいし、高い灯油代を嘆くこともない。人も物もたくさんあって、たくさんの選択ができる。
でも、正直言って食べ物はあまり美味しくない。イベントはたくさんあって魅力的だけど、本当に自分が行きたいと思っているのではなく、広告に踊らされ、周囲からの羨望の目が欲しいと思うか、所属コミュニティーで反故にされないために話題作りに駆られるか、見えない何かに拘束されているような気がする。まるで牧羊犬に操られる羊たちのようだ。

 空を見上げると羊雲。なんと、都会でも田舎でも、ニンゲンは空にもいるのか。
まったく何が少子高齢化だ。もとが多すぎたんだ。

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