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クリスマスにまつわる役に立たない豆知識 ―心の中で「クリスマス」を粉砕せよ

毎年この時期になるとあちこちでクリスマス関連の豆知識をパラパラと書き散らしていたのですが、そろそろ面倒なので記事にまとめます。最後のほうでは、現代日本のクリスマスに関する私の考えを書いています。

バレンタイン、イースター、ハロウィンもそうですが、現在日本でさかんに祝われている欧米由来の宗教系行事の多くが、世界の土着の宗教や政治的事情、メーカーの商業戦略などが複雑に絡み合って作られています。クリスマスにまつわる習慣も同じで、思ったよりもずっと多くの部分が「キリスト教以外」の要素からきています。

キリスト教は歴史上、世界に普及する過程で、世界各地の土着の宗教の慣習や祭儀をうまいこと取り入れていきました。これをシンクレティズムといいます。シンクレティズムはキリスト教の祭儀のあらゆる側面にみられるので、これをわかっておくとキリスト教や欧米の系統の宗教行事がわかりやすくなります。

【豆知識1】 クリスマスはキリストの誕生日ではない

これ、カルト宗教の勧誘で導入ネタとして使われることも多い知識なので、ぜひ押さえておきましょう。
(私、この話を実際に◯理の勧誘メンバーから振られたことがあって、たまたま知ってるネタだったから「そうなんだよね、あなたよく知ってるね」で済んだw)

実際のキリストの誕生日は春から初夏という説があります。根拠は聖書の、当日の星の位置と、羊飼いたちが野宿していた記述についての研究。クリスチャンの間でも、クリスマスはキリストの降誕を祝う祭日との認識で、誕生日とは捉えていないことが多いです。

このため、英語でクリスマスに Let's celebrate the birth of the Lord. (主のご降誕をお祝いしましょう)とは言っても、Happy birthday Lord! (主よお誕生日おめでとう)みたいな言い回しはしないのではと思います。私は聞いたことがないです。

【豆知識2】 クリスマスの起源はヨーロッパ各地の冬至祭

冬至祭は、冬の終わりと春の始まりを祝うもので、世界各地に存在します。キリスト教はこれらを「世の光キリストの誕生」にこじつけて、キリストの生誕祭としました。冬至祭は、イラン発祥のミトラ教のものと、ドイツ・北欧のゲルマン人発祥のユールが有名です。

冬至祭には本当にいろいろあります。キリスト教圏内で行われているルチア祭もそうだし(「ルチア」は「光」という意味)、ドイツ周辺の魔女の祭りもそのひとつらしいです。

もともと世界の土着の宗教では、「季節の変わり目には魔(神)がやってくる」という感覚がありました。季節の変わり目、時空の破れ目のような瞬間に、恐ろしさと聖性を兼ね備えた魔物のような神のようなものがやってきて、何か悪さをしたり、この先一年の作物の出来について予言をしたり、祝福したりして去っていく。こういうのを民俗学の言葉で「来訪神」「年神」とか「まれびと」と言います。

冬至から立春のころの来訪神については以下の拙記事に詳しく書いています。

https://decinormal.com/2018/02/02/imbolc/

【豆知識3】 クリスマスツリーは本来クリスマスとは無関係

本来、樹木を崇めるのは樹木信仰のあるゲルマン民族の習慣です。ゲルマン民族は冬になっても緑の葉を落とさない樫(カシ)の木を崇めていました。これに対しキリスト教の指導者らが、樹姿が三角形をしたモミの木を三位一体の象徴として提示し、ゲルマン民族をキリスト教化した、との説があります。(こういう強引なこじつけ部分、私はすっごく面白いと思ってしまいます)

現在、プロテスタント教会ではツリーを飾っているところも多いですが、カトリック教会では基本的に飾りません。本来、クリスマス頃にキリスト教会が飾るのはアドベントリース(アドベントクランツとも)とアドベントキャンドル。1ヶ月前から1週間に1本ずつロウソクを立てて、クリスマスまでをカウントダウンします。こういうものです。もっと本流のものはろうそくが紫とピンクとかでできています。

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赤を使うのはたぶんもとはゲルマンとか系の土着宗教の色のセンスから来ているのではと思います。常緑樹につく赤い実や、あたたかい炎といった、冬の森の中に輝く生命の色のイメージではないかなと。キリスト教でも「キリストの血の色」とか「聖霊の色」として赤を使いますが、クリスマスの時期にカトリックのミサで使われるテーマカラー(典礼色といいます)は紫と白です。赤が使われるのは5月ごろ。

【豆知識4】 サンタクロースの起源には諸説あり

サンタクロースの起源は大まかに2つに分けられます。キリスト教の成人聖ニコラウスにまつわる伝説と、なまはげに似た清濁合わせもった妖精・トロールのような来訪神・年神的な伝説。実際のヨーロッパ各地のサンタクロースの実態は、この両者が混ざりあったものとなっています。

北欧のサンタクロースには、よい子にはお菓子やプレゼント、悪い子にはムチでのお仕置きをくれるものもいれば、怖いなまはげみたいなのを連れていて、悪い子はそれにお仕置きさせたり、袋に入れて黒い森に連れ去ったりしてしまうものもいます。これの魔女バージョンとか、五色の強面のサンタ戦隊みたいなものもあります(ユール・ラッズという)。冬至祭の泥臭いところが出ていて、個人的に大好きな部分です。

【豆知識5】 現在のサンタクロースのイメージの起源はコカ・コーラ

コカ・コーラのコーポレートカラーは赤と白です。広告で現在の赤白のサンタのイメージを流布したのが、現在の赤と白のサンタのイメージだと言われています。それまでは、サンタ服には緑や茶などいろいろなバリエーションがあったと言われています。

【豆知識6】 海外ではクリスマスにKFCのチキンは食べない

海外でクリスマスに食べるのは七面鳥。71年、「故郷ではクリスマスには七面鳥を食べていたけれど、日本には七面鳥がないから」と外国人がKFC青山店でチキンを購入しました。KFCではこれを商機にしようと、74年に初の「クリスマスにはKFCのチキンを」というキャンペーンを行なったとのこと。

【豆知識7】 「クリぼっち」の苦しみを産んだのはたぶん、商業化したクリスマス

クリスマスの商業化についてはなかなかまとまった資料が見つからないのですが、見つかるかぎりでまとめてみます。

日本で、「クリスマスという宗教行事があるらしい、欧米のおしゃれな習慣である」というようなイメージが普及しはじめたのは、1910年代前後から。この時期には明治屋が初めてクリスマスツリーを飾ったり、不二家がクリスマスケーキを売り出したり、ホテル業界がクリスマス関連のディスプレイやイベントを行うようになりました。

戦争で一時期下火になった時期を経て、クリスマスをワイワイと祝う習慣が商業化しつつ普及したのは、戦後の復興が好調となり、日本が豊かになってきた1960年代半ばごろだという説が有力です。

その後、日本はバブル経済に突入。1983年に山下達郎が「クリスマス・イブ」という曲を発表し、大人気を博しました。1984年にイギリスの音楽グループ、ワム!が「ラスト・クリスマス」という曲を発表、爆発的な人気を得て、それが日本にも入ってきました。

どちらも「クリスマスに失恋する」という歌で、これらの曲が、クリスマスに「本来は恋人と過ごすもの」みたいなイメージを加えたと思われます。この時期にはすでに、クリスマスは欧米でもかなり商業化していたのでしょう。

おそらく、「クリスマスイブには恋人と豪華なディナーをして、そのまま高級ホテルでしっぽりと性夜を楽しむ」「男たるものこの時期にはマブいチャンネーをゲットしていなければ恥ずかしい!」「女たるものこの時期には素敵な男性をゲットしていなければ惨め!」「じゃなかったら家族でワイワイと!」みたいな「日本のクリスマスのステロタイプ」ができたのは、こうしたバブルの時期でしょう。

バブルが崩壊したあとの1984年、マライア・キャリーが「恋人たちのクリスマス」をリリースし、これが世界的ヒットとなります。これは「クリスマスに欲しいのはダーリン、あなただけ♡」みたいな歌。しょーもない歌詞だとは思いますが、ともかく曲がすばらしい。クリスマスのワクワク感、華やかさ、冬らしい感じが随所に散りばめられています。

2000年代を経て、日本は少子高齢化が顕著になり、本格的に経済的な勢いを失って、多くの人が「恋人を作っているどころではない」生活を送るようになります。生活も多様化し、「若い男女が派手にお金を使ったあげくしっぽり……」みたいなことばかりが幸せだとも限らない、みたいな雰囲気が出てくる。でも、みんなの頭の中にはまだ、商業主義やバブルの申し子のような「クリスマスは華やかに恋人または家族と」という強い縛りがあるので、けっこうな人が「クリぼっち」なる苦しみにさいなまれることになったのです。

本来クリスマスは、「ぼっち」のためにあるはずなのです。皆がわいわいと温かく華やかに過ごすような時期に、むしろ社会から差別され、排除されるような人たちのために。父親は「石工」として蔑まれ(石工は当時、差別階級でした)、産気づいた母親ともども粗末な馬小屋にしか通してもらえず、馬たちのエサの草を入れている容器に寝かされる赤ん坊のような。

2007年にはローマ教皇(カトリックの最高聖職者)も怒ってます。

「クリスマス」を心の中で粉砕せよ!

私はなかなかにハードな実家で育ったのですが、発達障害(当時未発覚)があったのもあって、その実家から出ようにも出られず、長いこと友人も恋人もおらず、30過ぎまでかなり心身ともに追い詰められた日々を送りました。今の定義でいうと準ひきこもりです。

実家での生活の苦しみからつかの間でも解放されたいと願ううち、フラフラとプロテスタントの教会に通うようになりました。当時は、ほかには上記のような状態の私を受け入れてくれるような場などないように思えたのです。

みなさんが温かく迎えてくれ、ここなら私を受け入れてくれると安堵して、いずれ洗礼を受けたいと思うようになっていた年のクリスマスイブ。礼拝の終わりのことです。「では、クリスマスの喜びをそれぞれのご家庭で分かち合いください」と、喜びに満たされたような笑顔で牧師先生がおっしゃいました。

その瞬間、私はものすごく絶望しました。ああ、ここも結局は私の居場所ではなかったのか、私を救ってくれるのではなかったのか、そんなことを宗教の名のもとに、ニコニコして言われてしまうのか、こんな夜に、「あの地獄のような実家にひとりで戻りなさい」という意味のことを……

いろいろな現実的な事情はもちろんわかります。牧師先生やその教会自体に対して恨むような気持ちはありません。でも、感情面では私がそんなふうにかき乱されてしまったのも自然だったと思います。

皆が温かいところで愛だ夢だ救いだとワイワイ楽しく過ごしている時期に、自分だけそうではないところで過ごさなければいけないときほど、あるいは周囲に人はいても心に孤独や苦しみを抱えているときほど、みじめな気持ちになることってないですよね。「メンタルに課題を抱えている人は、盆暮れ正月に心身の調子を崩しやすい」というのは、すでに当事者の間で定説となっています。

私は今となっては(カトリックの)信仰に救われていますし、幸運にも実家を出て、新しい家族を得ています。しかし私はいまでも、「現代の日本の教会(の一部)には、あまりに、深い孤独を抱えた人に対するまなざしに欠けている部分があるのでは」「本来宗教はこういった人たちの最後の砦でないといけないのでは」と感じています。

今の日本のクリスマスのような、孤独な人をかえって追い詰める「クリスマス」なんか、無視していいし、心の中でなら、どれだけ口汚く「粉砕してやる!」と罵っても構わないと思います。

あのね、これ、カミヲシンジナサーイっていう話でなく、純粋にライフハックとしておすすめするんですけど、旧約聖書の「詩編」の1から41までを、気持ちを入れて音読するといいです。

聖書というと、あれをするなこれをするなとか、お前らには原罪があるんだから悔い改めろとか、説教くさいことばっかり書いてあるように思えますが(私も聖書にはそういうイメージを抱いてました)、詩編の1から41って、ちょっと引くほどの激しい恨み言が叫ばれてるんですよ。

「俺を迫害するやつなんかみんなに嘲られて唾かけられてひどい死に方して末代まで呪われればいいのに!」「私はこんなにみじめな思いをして毎晩夜通し泣いてるのになんでカミサマ振り返ってくれないの!!」みたいな激しい叫びが、よくもそんなにいろんなバリエーション出るなってなって逆に笑えてくるぐらい、手を替え品を替え、超豊富な語彙で延々と出てくる。

見てこれ。ちょっと引くぐらいでしょ。だいたい全部こんな感じです。

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音読したらそれだけで何時間もかかるような分量の罵りと「助けて」っていう嘆願が詰まってるのが、詩編の1から41です。

とりあえずね、カタルシスです。自分が「自分の芯にある想いだけど、そんなひどいこと言っちゃいけない」って思ってぎゅうぎゅうに抑えてたことを、2000年前の人たちが数時間分、なりふりかまわずにありとあらゆる表現で叫んでるわけなんで。気持ち入れて音読してるだけですごくすっきりする、行き場のなかった想いが少しでも成仏する。それだけで今日ぐらいはなんとか破裂せずに…… 死なずに、誰を◯すこともなしに乗り切れる気がする。

ヨシタケシンスケさんの「ころべばいいのに」も真っ青の恨み言ですよ。

私は詩編のこの部分を読んだおかげで、実家の母を◯さないで済んだし、無関係の人も◯さないで済んだと思っています。

以下から無料で読めるので、もし気が向いたら見てみてください。

そんな感じで、商業化したクリスマスなんて、心の中で粉砕しちゃいましょう。大丈夫、私たちが救われるかどうかと、クリぼっちは関係ない。まったく関係ないよ。

それではみなさん、よき年末年始を。

あ、私の本も読んでね。いま書いたようなライフハックなんかが詰め込んであります。


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