ダイバーシティ。企業の二極化について

数年前までの社会では「持続可能性」に関する話題が盛り上がりを見せていたと感じます。一方で近年では「ダイバーシティ(多様性)」が着目され始めていますね。
多様性に対する捉え方は、企業風土を決定付けたり、採用基準になるような重要な要素だと感じます。

またこれからの社会では、様々な面で二極化が進みそうです。
そんな中で企業はどのような立ち振る舞いをするべきか考えてみました。



多様性が着目されている

「着目されている」というと少し認識が違うかもしれません。例えば持続可能性においては社会と企業の双方に良い影響を与えるため、自然と全体的に意識を高める方向性へと働きかけられていました。しかし多様性について現段階では、「明確な必要性がある」から取り入れるというよりは、「必要に迫られて」取り入れるといった認識をしている企業の方が多いのではないでしょうか。(むしろ多様性を取り入れる動きすら見せていない企業の方が多いか。)

近年では、多様性に対する配慮不足によって問題となったケースがいくつもありますね。これだけ問題になっていてもなお、次々と新たな問題が発生し続けている原因はどこにあるのでしょうか?
例えばひと昔前、「バイトテロ」が流行りましたね。ひとつの「おふざけ」によって企業イメージが大きく損なわれるため、正社員だけではなくアルバイトスタッフにも最低限のリテラシー教育が必要だという方向に企業としての考え方はシフトしていきました。これは企業にとって、「プラスに働く取り組み」というよりは「マイナスを減らす取り組み」という側面の方が強いかもしれません。
このような前例を踏まえて、多様性に関する問題意識も近々変化するはずです。しかし企業の在り方としては、そういった「危機管理からくる多様性の享受」ではなく「明確な必要性を理解した上での多様性の享受」が然るべき姿かと思います。

企業におけるダイバーシティ化推進のメリットなどは検索すれば沢山でてくるので調べてみてください。



二極化する社会

これからの社会では、多様性に対する向き合い方が二極化していくと思います。向き合い方というのがポイントで、単純な「理解度」だけで言えば先ほど書いた通り、社会としては全体的に向上していくと思います。

向き合い方という表現だと全体像を捉えにくいですが、例えば何事も「知っている」と「できる」の間に差があるように、「多様性を享受できる」と「多様性を享受して企業にとって価値のある行動をする」との間にも差があります。
この二者の在り方は、「限られたエリアで限られた人だけの理解を得る無難な企業」と「様々な新しい考え方を取り入れて各方面に対してブランド構築していく企業」の2つに分けられるのではないでしょうか。

企業としての捉え方を深堀する前に、個人単位の問題として考えてみましょう。
近年では、AIを使いこなす人と使いこなさない人の二極化が考えられますし、副業する人としない人の収入面や生活面での二極化も話題になっています。これらは唯単に各分野への興味度合いで区分けされているわけではなく、総合的な生き方に起因していると感じます。たとえば、「①与えられた環境でこれまで通りの生活を続けることを望む人」か「②新しい情報をキャッチして変化することを望む人」という切り分けがイメージできるのではないでしょうか。

この意識の違いが多様性の理解に繋がると考えます。社会では、これまでのモノサシでは測れない新しい考え方や捉え方が次々と出てきています。例えばLGBTに関する話題の捉え方として、「昔はそんなの無かったしおかしい」と捉えるのか、「今まで理解されなくて大変だったね、あなたの考えを尊重します」と捉えるのとでは大きく違ってきますね。
これらは、会社が教育することで変えられる問題ではないように感じる。技術やサービスなどの在り方を伝える事はできても、「こう考えてください」と思考を変化させることは難しいでしょう。ましてや、「ひとつの事象に対する考え方をどう捉えるかすら自由」というのが多様性であると言ってしまえば元も子もありません。

このような個人の問題を企業の人財問題として捉えると企業の在り方が見えてきます。この二者は企業視点で捉えると、「①既存概念を基準に判断し、将来的な価値よりも目の前のタスクを優先的に行う人」と「②新しい情報を取り入れて成長し、他人にとって、また企業にとって将来性のある価値を提供できる人」という風に切り分けられるのではないでしょうか。
どちらが良いかと議論したいわけではありませんが、どちらの人材を採用するかによって企業の在り方が大きく変わってきそうです。

従来のピラミッド構造の企業では、人を単純な労働力として計算し、社員が自由な思想を持つことを良しとせず、画一的な業務を行えるように教育します。そのため①のような人材がふさわしいとされます。
一方でこれからのフラットな形の企業では、社員を単純な能力のみで評価せず、自由な着想こそが価値になると考え、これまで以上に自律的な行動を推奨します。そのため②のような人材がふさわしいとされます。
これらが意味するのは、これからは企業の在り方によって働き方や求められる事が大きく変わってくるということです。

また、多様性を受け入れるためには意識の持ち方だけではなく、心や身体に余裕があることが重要だと考えられます。
従来のピラミッド構造の企業では、社員には黙々と定型業務を行ってもらいたい為、思考を巡らせるような時間を確保する方向には働かないでしょうし、逆にフラットな形を目指す企業では労働に対する考え方がこれまで以上に柔軟になり「仕事のための生活」ではなく「生活のための仕事」といった方向性にシフトし、仕事や生活における余裕は大きくなるでしょう。そしてそれが結果として成果に繋がります。

弊社でも日頃から社員には余裕を作ってもらえるような働き方を推奨しており、目先の雑務(掃除や整理)ばかりを必要以上に徹底する必要はなく、空いた時間でゆっくりしながら、「どんなことが価値を生むか考える事が大事」と伝えています。そもそも考える時間がないと、急に価値のあるアイディアが生まれることはありません。

企業の在り方をさらに細分化していくと、「自社だけでは社員の生活を保障することができないので副業を許可する企業」と「自社だけで安定した収入になるようにビジネスモデルやコスト構造を見直す企業」に分かれるでしょうし、「業務を細分化することで特定のスキルのみが成長する環境」と「ひとりひとりの業務範囲を自由に広げ、興味のある分野に対して広く学習する機会がある環境」に分かれるでしょう。



二極化は加速する

色々と二極化していく理由を示しましたが、これらはまだ大々的には顕在化していないように感じます。それは今現在、上記したような全ての条件を満たす「完全にフラットな企業」の数が圧倒的に少ないからです。
しかし、社会はどんどん変化しているのは事実であり、それに合わせて適応した企業が現れ始めているのも事実です。もうあと数年もすればこの重要性を世の中が認知するのではないでしょうか。

私はフラットな形の企業を推奨していますが、恐らく全ての企業がそうなることは無いでしょう。業界によってはピラミッド型の方が良い面もありますし、私自身もし今と違う業種を運営するなら、必要に応じてピラミッド型組織を選択すると思います。
例えば、夜職や現場仕事など、短期間で人が入れ替わるような環境では、時間をかけて企業風土を理解してもらう余裕などなく、スキル重視で効率の良い教育を行い、少しでも早く活躍できるようにする事で日々の短期的利益を追求していく方が良いですし、公的な機関で一糸乱れぬ統率が必要な組織などは、フラットな形での運用は難しいでしょう(不可能ではないが)。

このように、「合理的に考えてピラミッド型組織にした方が良いからそうしている」という場合なら良いのですが、「フラットな組織に移行する事ができないから仕方なくピラミッド型にしている企業」があまりにも多いのが現状だと思います。

企業は自社に適した在り方を見つけ、どんどん最適化されていくと思います。これまでの社会はまだ経済が成長しきっておらず手探りの中で「とにかく経済成長!」といった感じでしたが、ようやく経済が成熟してきた今、これからはそれぞれがそれぞれの在り方を見つけていくシーズンでしょう。
そうすることでますますこの二極化は加速していくのではないかと考えます。



能力評価が終わり人柄評価が進む

企業の在り方が変わると同時に、組織の考え方も変わってきます。
組織の考え方とは具体的には、労働時間に関する捉え方、労働場所に関する捉え方、評価方法、採用基準など様々な要素です。

突然ですが身も蓋もない話をすると、「なんでもできる人は何でもできるし、何もできない人は何もできない」と感じます。そしてその差がどんどん広がっているとも感じます。
もちろんそれぞれの得意分野というのはあるでしょうが、新しいことに取り組む時に、すぐにコツをつかむ人とそうではない人がいるように、人生の様々な事は応用問題として解答(行動)することができます。この応用力というのが、「どれだけ既存概念に囚われずにフラットに物事を捉える事ができるか」という事だと(私は個人的に)思います。

これは本人の考え方に起因するため、既存概念を重要視する人は、「どれだけ熱心に説明したとしても、理解はしても納得はできない」という場面が見受けられます。
ですので先ほども書いた通り、業務や作業などは教育することができても、働き方に対する考え方や捉え方というのは教育できないのではないかと感じます。

すると、これまで企業は業務における能力を評価していましたが、今後は考え方を対象に評価するほうが正確なのではないかと思います。これは評価制度の変化を示していますが、採用においても同じことがいえます。
これまでは中途採用の場合、特定のスキルを持っており業界経験が長い事が評価されてきました。それは、特定分野に対する知識を多く持っており、即戦力としての活躍が見込めるといった理由です。しかし、今後はこのような「過去の経験」は採用においてあまり意味をなさないのではないかと考えられます。
なぜならこれらの中には、「経験が長いだけでスキルが乏しい人」や「環境が変わると対応できない応用力の低い人」や「システムに依存しており、新しいやり方を模索するといった発想力が低い人」などが含まれているからです。
さらに言えばそういった人達は自分が仕事ができない原因を「過去にやっていた環境と違うから」という事にして、システムに文句を言ったり、組織体制に文句を言ったりします。

そうなると見えてくる本当に必要な人材というのは、多少偏ったスキルセットだとしても、協調性があり、柔軟性があり、変化を恐れずに、自分を客観的に判断でき、適切なフィードバックを行えるといった合理的な人だと考えられるのではないでしょうか。
仕事の技術やノウハウはいくらでも共有する事ができますが、この基礎的な考え方については本人の資質による割合が多く、認識を改めてもらうのは困難であると感じます。

また合理性は純粋にその人が新しい環境で仕事ができるのかどうかといった点だけではなく、チームの活動にも影響を与えると推測します。様々な例を考えてみましたが(今回の記事が長くなりすぎたので)この部分は割愛します。

様々な点からダイバーシティの推進とそれによる二極化について考えてみましたが、企業視点でも個人視点でも、ますますこの差は広がっていくように感じます。
そうなると求職者側の行動も変化すると予想されます。これまでの就職活動の基準は給料や企業の安定性ややりがいなどでしたが、今後は「どれだけ成長できる環境か・どれだけ個人が尊重される環境か・どれだけ変化に適応できる企業か」といった要素が重要視されるのではないでしょうか。
どれだけ個人が成長を意識して生活していても、環境の力というのは想像以上に大きく影響するので、柔軟な環境ではより柔軟になり、固定化された環境ではより一層思考が固定化されていくと感じます。ですのでもし成長を望むのならば、そういった環境に身を置くことが重要だということです。

企業側としての採用判断としては、「これまでどんな業務をしてきたか・どんな資格があるか・どれくらいの経験があるか」などは最重要項目ではなくなると考えられます。これからは、「どんな事を大切に考えているか・どういった時に成長を感じるか・変化のタイミングでどういった行動をとるか」といった部分を評価するようになると推測します。

履歴書だけでは見えない、対話によって見えてくる人柄部分。それを推し量るのは簡単ではありませんが、ある程度の人数を見てきた人事経験のある方なら大体の検討はつくのではないでしょうか。
「合理性を評価する」というと難しく感じますが、ひとつひとつ要素分解してみてみると、「志向性・思考力・実行力・関係構築力」などが考えられます。これらを意識し求職者と向き合うと、本質からそう遠くない評価ができるのではないでしょうか。もちろんこれらも専門的な技術が必要なため、定型業務しか行えない節穴人事の居場所はなくなっていくでしょう。

逆に考えると、転職を検討して企業へ中途面接に行った際に「人間性評価が行われず、また、キャリア構築に関する考え方などを問われることなく、これまでの経験年数などを基に評価してくれて採用が決まる企業」は危険信号です。自律的な働き方や個人の成長機会が低い環境である可能性が高くなります。そういった働き方を望むのならば話は別ですが。

これまでの話を分かり易く言えば、「人として成長している人」がこれまで以上に評価されるようになりますし、「人をコマとして考えず、人を人として捉える企業」が生き残っていくでしょう。
というシンプルな話です。

さも新しい発見をしたかのように長々と書きましたが、キャリア自律というキーワードですでに世間に広まりつつあるようですね。笑


余談

考えれば考えるほど、勉強すればするほど新しい可能性が見えてきます。
そして、周りの人もそうであるなら、より一層優れた相互成長の効果が期待できます。
ひとりでできる事の限界を超えてチームとして働く楽しさが見えてきました。興味がある人は是非コミュニケーションをとりましょう。

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