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明るい兆し

キモいについて考えてみたい。最近テレビや日常的にもキモいやキショいというワードがよく聞かれるようになった。最初は若者言葉だったがもはや誰もが普通に使う言葉となった。グロテスクな事物に対して用いられるのが一般的な用法だが、その意味が飛躍し、やがて人の容姿や性格、思想に対して生理的に受け付けない、無理といった拒絶を示す言葉としても使われるようになった。
例えば、おじさんの偏った性癖だったり、公衆の面前でのろけるカップルだったり、ある程度周りも共感できる類のキモさであれば分かりやすいが、本人も気付いてないような個人の性格や性質に対しての拒絶であればタチが悪い。個人の主観ではあるにせよ、この適用範囲の拡張されたキモさアンテナに引っかかる原因や条件はなんだろうか?順を追って探ってみよう。
自らの欲望の赴くまま本能に従って行動する人、理性による抑制が効いてないタイプの人はキモいだろうか?創作意欲に突き動かされ絵を描き続ける人、無心で仏像を掘り続ける人だったらむしろ高尚に見えてくるからこれは当てはまらない。では他人に評価されたくて同じように創作に取り組むタイプはどうだろうか?意中の女性に向けて自作のラブソングを弾き語る人、承認のためのポエムをSNSに投稿し続ける人、これはかなりキモいに当てはまりそうだ。
どうやら欲求の矛先が行為そのものでなく自分自身への見返りに帰着する場合にキモいの比重は高くなりそうだ。
だが欲求の矛先が行為そのものであったとしてもそれが心地いいからそうするのであって、結果自分自身に向けられていることに変わりないのではないか。
では行為と欲望との距離が近すぎる場合にキモいと感じるのではないか。性行為や承認欲など行為との距離が近すぎてあからさまだとキモくて、婉曲に遠回しに行われる行為だったらそう感じない。
つまりコミュニケーションが阻害されたコロナ禍以降の世界線で欲求との距離感が近すぎる人、自分本位の人、独りよがりの人が増えたことでキモいやキショいといったワードが頻発されるようになったとも考えられる。早計だろうか?いや遅計だろう。近えだけに。お後がよろしいようで!

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