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ソマン③~ソマンへの下り道~

タシガン僧院からソマンへの山道は、概ね下りであるという。

後で聞いた話によると、タシガン村はアッパー(上の)タシガンとロウアー(下の)タシガンで地区が分かれるらしい。
タシガン僧院はアッパーの中でも更に上の方にあるので、ソマンは高度的に下に位置するようだった。

帰りの車が待っているだろうロウアータシガンは、ソマンからゆっくり下りても2時間かからない。

日帰りのつもりで最小限の荷物しか持ってきていないにしても、荷物を背負った身にとっては、下り坂の方がありがたい。
タシガン僧院まで登って、最初の関門は突破したとのんびり構えていた我々だった。

軽トラ運ちゃんは帰りの客をちゃんとリードしなければと、
ソマンへの道筋を近くの畑で働いていた女性に確認してくれた。

道は1本しかない。下るだけだ。
途中で印があって、そこから僅かな登りになる。
登り始めたらソマンはすぐそこだ。

理解しているのか、していないのか、はっきり判別できない外国人に向かって、運ちゃんは繰り返し繰り返し「下りるんだ。下りるんだ。」と教えてくれた。

ソマンについたら、周りを散策するだけで寄り道をしちゃだめ。
下に下に降りたら道があるから、自分はそこで待っている、と。

何度も何度も確認を取って、運ちゃんはアッパータシガンへ向かうショートカットへ消えて行った。
村の外れを通って、自分の車を置いてきた駐車場へ帰るのだろう。
車には、奥さんが作ってくれた(多分)チャパティと野菜カレーの弁当が置いてある。

外国人2人は、道案内は無いものの、とにかく山の斜面を続く1本道を下り始めた。
始めはまだ、地面に水分が多かったのだろう。
ボシャボシャとした低木が、ボンボンのように砂地に生えていた。

だんだん緑の大きさが小さくなり、ついには石と砂ばかりになった。

友人は山に登ると元気になる人だ。
大きな岩などが山道の脇にあると、すぐに登ってしまう。
筆者も高い所が好きなので、真似して登ろうとはするのだが、いかんせん普段座り仕事が多く体力も彼女ほどない。
更に運動神経も、学生時代は5段階評価で2ばかりだった。

それでも歩き始めはまだ元気だったので、一緒に大岩に登って気持ちよく写真を撮ったりしていた。

気分の良い時は何でも素晴らしく見えるものである。

特に『我々は聖地に向かっている』という期待感もあって、乾いた山の斜面を歩いていても非常に幸せだった。
晴天での、高地の太陽光は強い。
道の途中にある岩々、石の数々は、成分に何か反射するものが含まれているらしく、
断面がキラキラ輝いている。
砂の道もキラキラ輝いている。

あまりに美しく輝いているので、写真に収めようとシャッターを切ったが、この輝きは画像として残らない。
残念だったが、そういうものなのかもしれない。

聖地に向かって進むという感覚を、自然に感じられるような道だった。

しばらくホイホイと歩いていたが、岩だらけの道の途中で、三差路の中央に石が積み上げられて、塚になっているような場所があった。
これは怪しい。

協議の結果、運ちゃんは「下に下がれ下がれ」と言っていたので、更に下ろうということになった。
下る道もちゃんと分岐している。

そして、山肌に沿って緩やかに、ジグザグに下っていく道が更に続いた。

それにしても、結構歩いているのに全然ソマンにつかない。
道の先に幾つか建物が見えるが、それが目的地なのだろうか?

2人とも、いや少なくとも筆者が歩くのに飽きてきたころ、下の方に見えていた建物群がそこそこ近くなってきた。
その頃には、いつソマンにつくのか、疑いの念が湧き始めていた。

郵便局(何故そう思ったのか、今も不思議である)か発電所らしき、長屋風に建てられたコンクリートの建物があった。

囲われた敷地の中には、馬が歩いていた。

立派な金属の格子の門があって、閉まってはいたが、
中に人がいそうな感じだったので藁をも掴むような気持で中に入った。
この建物の少し上の方には、祈祷旗が張られた小さな建物があったので、ここがソマンかと思ったのである。

中に入って長屋の前を通ると、人がいるのかいないのか、随分シーンとしている。
洗濯物が干してあったので、誰かいる筈だと思い探していたら、やっとインド人の男性を1人見付けた。
若くはないが、「おじさん」というようなゆったり優しい感じではない。

とにかく人を見つけたので、「ここはソマンですか?ソマンですか?」と一生懸命訊いた。
その男性は面倒くさそうに、「ソマンじゃないから、あっちから出ていけ。」という。

もう1人、厳しそうなおじさんを見付けた。
「ソマンはどうやって行くんですか?」と必死で訊いたが、
「あっちあっち」と、狭い裏口を指差してさっさと行きなさいムードである。

ここでごねてもソマンでないことには変わりないので、おとなしく裏口から退出し、コンクリートで固められた不自然に整備されている階段を降りた。

これも後で聞いた話だが、この建物群は軍の施設であったらしい。
国境近くに配置された施設なので、管理体制も厳しく、
外国人が中に入って来ようものなら職務質問をされ、ただでは済まないらしい。
中国人に似た顔を持つアジア人であれば、なおさらである。

が、余りにもヨレヨレ状態の筆者達が「ソマンは?ソマンは?」と必死に訊いていたので、
おそらく相手も『・・・相手にする必要なし』と思ったのだろう。

「よく何もなく出てこれたね。」
が、説明してくれた人の感想である。

下り道は続く。
リンゴ畑があって、白いストゥーパの横から下に降りる階段がある。
階段を降りた小さな踊り場の左側に木の門があり、中の建物の入り口には履物が見えた。

人がいる!

建物の1部屋の奥には寝台があって、お坊さんと土地の人らしき若い男性が座って話していた。全く見も知らぬ場所、知らぬ人々ではあったが、他に訊ける相手はいない。
「ここはソマンですか?」

「あんたたち完全に道を間違えてる。」
お兄さんは言った。
「ここはタシガンだよ。」

『・・・・・・・‼‼‼‼‼』

「もうすぐ帰るから、門のところで待ってればいい。道を教えてあげるから。」

お兄さんを門のところで待っている間、友人はリンゴを1つ渡してくれた。
道中で既に1つ食べており、今朝から2個目のリンゴである。
タシガンで頂いたお茶とビスケット、そしてリンゴ2個以外、朝食は食べていない。

『お腹空いた・・・』
でもリンゴも食べたくない。ツァンパ(麦焦し)が食べたい。
でもツァンパは、重い荷物を引き受けてくれた友人のリュックに入っていた。
ツァンパのことを言い出せずにリンゴを持ったままでいると、会話を終えたお兄さんが中から出てきた。

彼は自分の車を置いてきた場所まで、歩いて戻らなければならない。
ソマンへ向かう道も、そちらの方向だという。

今まで降りてきた道を登るのか。
急に力が抜けて、何だか歩くのが嫌になってきた。

つづく。


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