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ナコ④~土地神~

おばちゃんは小柄だけど、歩き方には確信が満ちている。
要るものは要るし、要らないものは要らない。

気遣いのある友人が、暑い中歩き続けるのは大変だろうと水筒の水を勧めたが、
おばちゃんは水路の水を手ですくって飲んだだけで、何度か勧められた水を飲むことはしなかった。

筆者なら、せっかく何度も勧めてくれるのだから、と、
飲みたくなくても少しだけ頂いてしまうような場面だった。

途中で写真を撮りながら遅れがちの外国人を気にせず、おばちゃんは着々と歩を進め、
分院と幾つかのストゥーパ(仏塔)のある場所に着いた。

『やはり』と思ったのは、
おばちゃんは直接分院の入り口に向かうのではなく、
分院や並んだストゥーパが全て身体の右側に位置するように、建物群を時計回りに1周して入り口に向かったことである。

分院は白い小さな二回建ての建物だった。
分院に向かって右側には、3~4m高の、いかにも手作りらしい真っ白なストゥーパが、石造りの壁と屋根に守られて幾つかある。
下界でも見ることはあるけれど、空気が澄んで真っ青な空と、乾いた砂色の中の白だったので、非常に美しい純白に見えた。

分院に入る手前で、おじいさんが小さなヤギを抱きながら、反対側から歩いてきた。
迷子になったヤギを探しに行ったのだという。
このおじいさんの方が、先に分院に入った。

分院の鍵の隠し場所は、下で聞いていた(ここには書かない)けれど、
お坊さんの説明のように、村人達が既に到着し、
朝のお祈りはもう済ませたようであった。

カギはかけられていなかったものの、硬く閉まっていた扉を押し開けて狭い階段を二回に上がると、横に簡単な屋根がある土間があった。火が焚かれて、鍋がかけられていた。
さっきの子ヤギが木の梯子に結ばれている。
その前には屋根のない土床の屋上。その先に二階の部屋がある。

おじさん数人と数人の女性がいて、ここでも婦人部が活躍しているようであった。

部屋に入ると、やや広い集会所のようなマットレスの置かれた部屋があって、その奥に小さなお堂があった。

お堂の扉は新しい木で作られていたけれど、
屈んで入ったお堂の中は古くて、暗くて、外とは違う空間になっていた。
正面の小さな壇には如来、グルリンポチェ、訳経官などの尊像や、石に刻まれた尊像も祀られている。
暗いので奥は見えない。幾つかの燈明と、外からの光で明かりを取っている。
部屋の中、祭壇の手前には、2人ほどしか座ることができない。

おばちゃんは、持ってきたヤカンから灯明へ油をたして、お祈りをしていた。

視界は殆ど闇であったけれど、怖い雰囲気は無かった。
筆者も少し中で座らせてもらった。

友人は筆者よりもよく瞑想をする人であった。
彼女のおかげで、村人の皆さんの筆者に対する心象も、随分良くなったと思う。
ありがたいことである。

外国人の瞑想がすむのを待って、彼らはお茶を出してくれた。
食事の後で残ったチャパティ(小麦粉を練って鉄板で焼いたパン)とバターと、野菜も分けてくれた。
おばちゃんは『そんなに食べて!』と少しはしたなく思っている様子だったけれど、
土地の小麦粉とバターと野菜と、牛乳で作られたお茶は美味しかった。

食べ終わると、おじさんの一人がお堂に入り、お堂の手前隅の小さな家型の箱を開けた。
中には小さな器が並んでいて、その中に麦?の籾が満たされて、その上に乾燥した花などの供物がのっている。
籾を少しずつ補充し、液体の入った器に液体(おそらくアルコール)を注ぎたし、
祠をでて、おじさんは集会部屋のマットレスの自分の位置に着いた。
前には開かれたお経、太鼓が配置されていて、
シンバルと、柄の長い太鼓をたたく棒が、セットになって打たれるばかりになっている。

新月の日なので、特別な法要があるのだろうかと見ていると、
おじさんは1人で、お経を読み始めた。

驚いたのは、おじさんの唱える言葉は朗々として早く、
太鼓やシンバルを叩く間合い、叩き方も、堂に入っていることだった。
タボでお勤めをなさるお坊さんより、ずっと慣れている様子だ。

お供物にアルコールを供えたことと、鳴り物の多い法要の様子を見て、
これは護法尊の法要であると分かった。

それにしても、おじさんの法要には風格があった。
長い修行と経験をされているのだろう。

外に出ると、婦人会の皆さんは外にマットレスを並べ、法要の間、お経を読んで時間を過ごすらしかった。
少し一緒に座っていくかと訊かれたが、お暇をして、外に出た。
外国人2人に「半分ずつよ」といって、お供えのお下がりらしき大きなリンゴを1つくれた。

友人は、環境を清潔に保とうという意欲のある人である。
怠け者の筆者と違い、普段から山や特定の施設内にゴミが落ちていると、自ら拾ってゴミ箱に捨てる習慣ができている。

ナコの分院へ向かう道でも、結構ゴミが落ちていた。
帰り道、彼女はそれらを拾いながら下山していた。

大抵の場合、随喜はしても一緒にゴミ拾いをしない筆者であったが、
今回は友人の功徳に習おうと、彼女の後ろを歩きながら、拾い残しを拾いつつ、おばちゃんと彼女の後をついて行った。

途中数回おばちゃんは振り返り、ゴミを拾う必要はないと手ぶりで示した。
というより、「おいていけ」という様子だった。

それでもゴミを拾っていけば、山道を気持ちよく歩けるようになると、
外国人はせっせとプラスチックごみを拾い、片方だけ残されたビーサンを拾い、空き缶やお菓子の空き袋を拾いながら下りてきた。
結構沢山集めた。

村から山に入る入口が近づいた時、おばちゃんはくるっと振り返った。
持っているものをそこに置け、という仕草をして、一生懸命何か言っている。

「外国人のあんたたちが、そんなことする必要無いのよ」と優しく言っているのではなく、
「やめなさい」と強く言っているように感じたので、筆者はその場にゴミを置いた。

友人はまだ持ち続けていたが、おばちゃんのあまりの剣幕に、道のわきに道中集めてきたゴミを置かざるを得なくなった。

友人がゴミを道のわきに置くと、おばちゃんは近くにあった大きめの石を取って、ゴミの集まりの上にしっかりと置いた。
ゴミが動かないように、土地に固定させるかのようであった。

そうしておばちゃんは、大事な仕事を成し遂げた様子で村への道を歩いて行った。

山と村の境界の柵を開けて、村へ入り、また柵を閉めた。
おばちゃんの知り合いらしき女性が数人通りかかり、おばちゃんはまた言うことを聞かない外国人の説明をしていたが、
お寺への道案内を聞かなかっただけでなく、
山からゴミを持ち出そうとしたことも、説明に追加されている様子だった。
おばちゃんにとっては大問題だったのだ。

そこでやっと、朧気ながら理解できたことがある。
山にあるものは、人里に持って降りてはいけないのだ。

今日の様子から推し量るに、村人の有志は、新月満月の日に欠かさず山の分院へ行き法要を行っているらしい。
しかも法要を行っているのは、お坊さんではなく、土地に住む経験のある在家の修行者である。
祀られているご本尊には如来や偉大な成就者達もいらっしゃるけれど、法要を捧げる直接の対象は、太鼓やシンバルの音を好む護法尊である。

ここまで考えると、この護法尊はもともとこの土地を持っていた土地神で、
ナコに僧院が作られた時か、
その前にグルリンポチェがこの近くで修行をされていた時に調伏され、
仏教の教えと修行者を護るように誓いを立てられたのだろう、という結論に至った。

それでも、山は土地神のものである。
山にあるものを許可なく人里に持って降りると、土地神は怒る。
村に災いが起こる。

これが、おばちゃんの様子から筆者が作り上げたストーリーである。

村へ入り、マーケットのあるメイン道路に出ると、
おばちゃんは「じゃあ行くから。」といって、我家?の方へ去って行った。
やることやったから終わり、という風な、
非常にあっさりとした別れだった。

あっさりし過ぎて、我々にとっては、
山の分院への道案内だけの為に現れた、天女の変化だったのかと思われるような消え方であった。

つづく。


DECHEN
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