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ソマン④~ソマンへの上り道~

お兄さんはローカルの人で、リトリート(隠遁修行)している友人のお坊さんに会いに来たとのことだった。
おそらく、ツァンパ(麦焦し)や米や豆や小麦粉や、野菜を差し入れに来たのだろう。
果樹は近くに生えている。

車道は通っていないので、離れた所に車を止めてきたという。
我々を運んでくれた軽トラの運ちゃんが、ソマン参拝後の我々を拾ってくれるところでもあるのだろう。

ストゥーパのある隠遁所を出て、また炎天下の山の斜面を歩くことになった。
気分が下がっていたので、緩いけれど、非常に疲れる登り道になった。

友人は、先程道を間違えて軍の施設に入った時にガクッと来たらしいが、正しい道を歩き始めて元気を取り戻していた。
お兄さんと話していたのもほとんど友人で、英語で会話を楽しめる友人は良いなぁ、と普段なら羨ましがるところであるが、
息が上がってそれどころではなかった。

筆者の歩みが余りにも遅いので、先行の2人は時々振り返りつつ、歩を進めてくれた。
途中果樹園に水を引くための水源があり、通りかかった若者が水を汲んでくれた。
ペットボトルに入れてくれた水は冷たくて美味しかったけれど、沢山飲めるほど元気ではない。
ツァンパなど、重いものを既に持ってくれている友人であったが、この時は飲料水のボトルまでも持ってくれた。

途中の三差路で、少し段になって座れる所があった。
彼らは先に着いて待っていた。
筆者がいかにも疲れた様子だったのだろう。
しばらく座って休む時間をくれた。

下の方から、ナコで出会ったおばちゃんのような、小柄なおばちゃんが袋荷物を持って歩いてきた。お年寄りだが、足腰がしっかりしていて元気そうである。
弱くてヘタレた外国人を見て、かわいそうにと思ったのだろう。
リンゴを二つと、モモをくれた。

おばちゃんが袋から出してくれたモモは、今まで食べた中で一番美味しいモモだった。
疲れて喉が渇き、ヘロヘロになっているところで食べた、
多分木成りのまま熟した、酸っぱさも甘さも強い、汁気の沢山ある黄桃だった。

彼女は少しお兄さんと話して、しょうがないねえという風に優しくこちらを見て、
「じゃあね。」と言って道を進んでいった。

おばちゃんに抜かれた。
ローカルのおばちゃんは強かった。

モモを食べて少し生き返り、また歩き始めた。

お兄さんは、あちらに見える2本の電柱の向こうに車道の最終地点があるという。
君たちが行くソマンへの道はここから上に行く、と示してくれた後、
我々は別の道を行くことになった。

結論を先に書けば、『怪しい』と思った分岐点が、ソマンへの上り道が始まる分岐点であったのだ。
そこからソマンはそう遠くなかった。
我々が下のタシガンに着いた時間には、
「ソマンについて周囲の聖地を幾つか参拝して終わっていたかもしれないね。」といわれるくらい、時間が経過していた。

とにかくあのポイントまで戻ろうと来た道を上るのだが、ここしばらく経験していなかった体の疲れ具合だ。
友人は先を行き、時々振り返っては水を飲むかなどと訊いてくれた。

余裕が無いと心が狭くなるものである。
そして時々、どうでも良いような昔のことを思い出す。

筆者は坂道をただ上りながら、30年以上前に弟が毎週買っていた、週刊少年ジャンプの或る漫画を思い出していた。
当時、姉ちゃんは画材に小遣いを使い切っていたので、漫画など買って読む余裕は無かった。なので、弟が買って読み終わり、部屋の隅や階段に置きっぱなしにしていたものを拾い読みしていたのである。

当時、『キン肉マン』という漫画があった。
その中で、ピンチになった主人公のキン肉マンが、最奥義を披露する。
その名も、「自分の身体だと思わなければ痛くない」。
戦って痛めつけられた場面で、戦い続けるために主人公が編み出した奥義である。

要するに、自分の身体が辛いと思わなければ、辛くないのだ。

非常に疲れていたが、これは疲れていると自分が思い込んでいるだけで、
もしかしたら疲れていないのかもしれない。
身体感覚というものがただそう感じられるだけのことで、身体はまだ動くのかもしれない。

そう思うと、5メートル毎に立ち止まりながらも、気が紛れて歩けるものである。

更に、筆者は自分の身体の細胞1つ1つを歩きながら空想し、その全てに訊いた。
「ソマンへ行きたい?」
身体の細胞たちの答えは、
「行きたい!」
だった。

「みんなで力を合わせて姉ちゃん(筆者)を連れて行くから、ソマンへ行こう!」
これは空想の身体の細胞からの返事である。

ここでいきなり力を合わせてソマンへ向かうことになり、息が苦しくても何でも、とにかく歩を進めることになった。
自分で自分に「頑張れ!頑張れ!」といった経験はあまりない。
1人なのか誰かと一緒にいるのかよく分からない、変な心の中の会話だった。

歩き続けていれば、進むものである。
ついに道を誤った三差路に着いた。
ここからソマンへは、それほど長くない。

確実にソマンに近付いているという安心感は、歩を軽くする。
友人に遅れがちになりながらも、何とかソマンに着いた。

WELCOME SOMAANG
と書いてある石がある。

ゴミ箱が2つ並んだ先に小さな門があり、中に入ると簡素な建物がある。
門と同じ高さにある階には2つ部屋があり、その先を更に進むと12畳ほどのコンクリートの床。床の外れに橋のような木の板が置かれていて、その先にお寺があるらしい。

建物は2階建てで、下に向かう階段がある。
階段の前にもう1つ小さな四角い部屋が作られていて、その部屋の屋上に椅子が2個並んでいる。

ソマンには、おじいさんが1人と、土地の人らしき女性が2人いた。
友人はその場にすぐに溶け込んだけれど、
筆者は立っていることもしんどかったので、リュックごと通路に座り込んでいた。

おじいさんが、上の階(入り口と同じ高さ)の奥の部屋のドアを開け、電球をつけて、中に入れてくれた。
奥に立てかけてあったマットレスを2枚並べ、積み上げられていた毛布を2枚、枕のように置いてくれた。

一応お礼を言ったけれど、しっかり座ってもいられない。
おじいさんが部屋を出た後、そのまま倒れるように横になって、
しばらくそのまま動けなかった。

・・・そろそろ帰りの時間が近づいてくる。

つづく。


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