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ナコ③~山の分院~

その日は新月だった。
特別な新月をナコで迎えようと、チベット暦カレンダーを見ながら旅程を組んでいた。

昨日お坊さんから頂いたツァンパは、香ばしくて優しい味がした。
朝食は、ホテルのレストランでお茶と一緒に自家製のヨーグルトを注文し、
ヨーグルトを半分食べた後でツァンパを混ぜて頂いた。

ナコのヨーグルトは、水分が多めであるらしい。
少し酸味のある牛乳状の部分と、モロモロと固まりかけた部分、上には僅かにクリーム色の脂肪分が固まっていた。
「もう少し置いておいたら固まりますか?」と訊くと、
土地の人はこの状態で食べる(飲む?)という。

昨日味見させてもらった味が濃くて美味しいパニール(チーズ)のように、自然の餌を食べている牛の乳らしい味がした。

遅い朝食に満足して時計を見ると、そろそろ10時である。
山の分院へ向かう待ち合わせの時間だ。
昨日のように道に迷ってはいけない。
今回はしっかりと方向を定め、ナコ僧院へ向かって建物の間を歩き始めた。

道の途中に、昨日見た覚えのある小さな四角い家があった。
中には灯明が並んで灯っていた。

その中から、今朝は小柄でやせたおばあちゃんが出てきた。
手に、小さいアルミのヤカンを持っている。

「ジュレ―」
「ジュレ―」
この地方の挨拶は、ラダックと同じ言葉だった。
「どこに行くんだい?」とおばちゃんは言った。
実をいえばスピティ語は分からないけれど、そう言ったような気がした。

「マンディル(お寺)。」とだけ答えた。

おばちゃんは手招きをして、ちょっと来いちょっと来いとジェスチャーをする。
何か言葉でも言っているのだが、よく分からない。

知らない場所に行くと、土地の人から時々お茶を飲んでいかないかと誘われることがある。
今回もそれだろうと思い、時計を見ると10時に遅れそうなので、
「ごめんなさい。時間が無いの。」なんて言いながら、おばちゃんから離れて道をどんどん歩いて行った。

どんどん歩いていくと、全然僧院に着かず、湖に出てしまった。

ここでやっと道を間違えたことに気付き、元来た道へ戻るわけだが、
さっきの小さな家の前で、おばちゃんは待っていた。

「そっちじゃないって言っただろう。お寺はこっちだよ。」
というように話して、自分もお寺に行くからついて来いと身振りで言う。
「全く言うことを聞かないんだから!」と非常に立腹の様子であったが、とにかくついて来いというのでついて行った。

おばちゃんは牛が飼われている昔ながらの囲いのあるところで右折し、工事現場の砂利山を踏み越え、作業員たちに何か言いながら建物の隅の狭い角を曲がって、土の道にでた。
お寺のすぐ近くの、ストゥーパの見える場所だった。

あまりの近道に驚愕していると、おばちゃんはこちらを見て、
「ほら見てごらん」という様子である。
「人の言うことは聞くもんだよ。」と言葉で言っていたかどうかは思い出せないが、そう思っていたことは確実である。

「ありがとう!ありがとう!」と、とにかくお礼を言った。

お寺に着くと、正門は中からカギがかけられていた。
小さな男の子が門の前で遊んでいたが、おばちゃんが何か話すと、塀の端からストゥーパの台座によじ登って中に入り、カギを開けてくれた。

古いお堂のある敷地内は静かである。
男の子と、彼の妹らしき小さな女の子がいるだけだった。

おばちゃんが「お坊さんはいるか?」と訊くと、
頷いてお坊さんを呼びに行ってくれる。

おばちゃん自身は、古いお堂の奥に建てられた比較的新しい建物の前にある、ガラス張りの供養箱の中に並べられた灯明に、持ってきたアルミのヤカンから油を足していた。

しばらくすると、昨日のお坊さんが出てきた。
「道に迷って遅れました、ごめんなさい」と言うか言わぬかの間で、おばちゃんは一生懸命我々のことを説明し始めた。
こいつらは私が教えてやったのに言うことを聞かず、道に迷っておったのを私が寺までつれてきた。
と説明しているのが何となく分った。
お坊さんが笑いながら話して、なだめていた。

遅くなっていたので山の分院はどうなろうかと思っていたが、お坊さんから説明があった。
今日は新月で、朝早くから村人達が分院へ行っている。
彼らが分院の鍵は開けているから、若い方のお坊さんを道案内につけよう。
1人は僧院に残らなければならない。
このおばちゃんも分院に行くから、道は心配しないで大丈夫。

そうしてサンダルを履いた若い方のお坊さんが我々を先導し、僧院を出て分院へ向かうことになった。

僧院を出て3分もしない時、道から見える新しいお堂の前の駐車スペースに軽トラックが止まって、中から人が出てきた。
その人は若いお坊さんと話している。
そして、お坊さんはおばちゃんと話した。

そして筆者に言った。
「自分はこれから○○へ行かなければならなくなった。
おばちゃんが道を知っているから大丈夫。」
おばちゃんは凛としてヤカンを持って立っている。

そうして、おばちゃんに先導されて外国人2人が山の分院へ行くことになった。

おばちゃんは村の顔役なのか、小さい村なので全員が顔見知りなのか、
彼女は会う人会う人と挨拶し合い、そのたびに言うことを聞かない外国人について説明しているようであった。

途中、30代くらいの若い女性に会った。
言うことを聞かない外国人についての説明の後、この女性は筆者に少し話しかけてくれた。
「命の柱が太い」という印象だった。
しっかり地に足をつけて生きているのだろう。
彼女も、今持ってる荷物を家に置いてから、山へ行くという。

先輩(おばちゃん)に挨拶をして一旦別れたが、後に山道で追いつき、追い越して行った。普通のインドの田舎の靴で、道なき道を、荷物を背負いながら、斜面にある我家の畑へ向かって当たり前のように歩いていった。

道の途中で何人か村の女性に会ったが、皆一人で自宅から離れた斜面の畑に来ているようだ。
時々ダラムサラでも見る、柳の枝や薪をカタツムリの殻のように大きく背負い、腰を曲げて荷物を運ぶ女性達だった。
それが当たり前なのだ。

分院までの道は、おばちゃんが自信を持って先導してくれた。

先ず、山に入る境の柵。
柵を開けて、通り、また閉める。
人界とお山を分ける境界で、非常に大切にされていることが後で解った。

道は、時々道ではなくなった。
分割された畑と木々の間を進む道は、50センチの幅があれば良い方である。
時々細い水路脇の、片足分しか幅のない石に足をかけて、伸びてくる木の枝に引っかからないように石積みの壁にしがみつきながら通過しなければいけない地点もあった。
もちろんおばちゃんはスイスイ進み、服をひっかけたり破いたりするのは新参者の外国人である。

この道は小さな水流に沿ってある。
歩きながら、常に自然の水が流れる音が聞こえていた。

緑色の区域が終わるころ、斜面にほぼ平行に流れている清流のあるところで、おばちゃんは一休みした。
水は濁っておらず、澄んだまま流れ続けている。
周囲には小石と土と草と木しかなく、流れを清浄なままに保とうとする村人の意図も感じられた。

手を洗っているおばちゃんを見て、飲んでも大丈夫かと身振りで訊くと、大丈夫だという。
手を洗って、顔を洗って、頭に水をかけて、掌で水をすくって飲んだ後で、思い出した。
『このきれいな水なら、水神龍神が留まっているに違いない。
ここでお砂を流せば良いのだ。』

ということで、細いながら歌うように元気よく流れていく水に、村の繁栄を祈りながら曼陀羅のお砂を流した。
この砂の福徳が、ナコの湖へも流れていくかもしれない。

使命感いっぱいにお砂を流した筆者であったが、
おばちゃんは「私達にはソマンリンポチェがいるから大丈夫。」と、どうってこと無いように落ち着いていた。

緑が切れると、乾いた砂と砂利の道が続いた。
天気が良かったので、道中かなり暑かった。
おばちゃんは片手にヤカン、もう片手は腰において、ゆっくり登っていく。
山の斜面でずっと畑仕事をしてきたので、膝が悪くなったのだという。
あの大きな荷物を担いで、山道を行き来したのだろう。

大きな石に座って休んでいる時、山々の美しさに我々が感嘆していると、
「すごく美しい。」というヒンドゥ―語を何度も教えてくれた。

あの山の向こうはラダックで、自分はラダックからこの村に嫁いできた。
何日も車に乗ってやって来た。
ラダックも美しい場所だ。

全てではないけれど、それくらいのストーリーは理解できた。

もう少し歩くと、山の分院へ着く。

つづく。


DECHEN
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