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きづく

知っていたけれどはっきりしていなかったことが、
明確な言葉、イメージを認識することで
改めて気づくことがある。
 

当たり前に聞こえていた
家族の寝息にふと気がついて、
安心して寝ていてくれて良かったと
改めてありがたく感じることもある。
 
近さ故に、好き嫌いの感情が入り混じって、
ある時には、とても大切に感じて
別の時には離れたいと思う相手も、
 
どの部分が好きなのか、
どの部分が嫌なのかはっきり気づくと、
 
両面を見たうえで、
全てをひっくるめて愛情をもっているかどうか
再確認することができる。
 

気がつけば、
気にしていなかったことをありがたいと思い、
 
明確でなかった快・不快の感情も
分類して、
相手のどの部分に、何故起こるのか、
俯瞰して見ることができるようになる。
 
 
気がつけば、
豊かさも増える。
 

ある人は、「ここには何もない」という。
 
いいながら、頂き物の銘菓栗大納言を食べ、
麦茶を飲んでいる。
 
「美味しいお菓子あるじゃん。お茶飲んでるじゃん。
あなたのものだから、食べられる。
あなたのものでなかったら、食べられないでしょう?」
というと、

「そうだねえ。」といって、
「有る」ことに気づく。
 

いつでも、目の前には
360度世界が広がっていて、
 
360度何かが満ち満ちていて、
 
何もない世界の裂け目は全く見えない。
 

例えばここに、お茶とお菓子の乗ったテーブルがあったとして、
『象がいない』と思うのは、

思考が、存在しない象を思い浮かべて
「象がいない」といっているのだ。
 

もしかすると、多くの場合は
無意識で「無い」といっているのかもしれない。
 
昔からの考え方の習慣や、
更には一般常識的な情報の共有によって
「無い」が沁みこまされている場合もある。
 

当たり前だと思っていることには、なかなか気づけない。
でも意識して「有る」をイメージして探してみると、
「有る」に気づくことができる。
 
部屋の暖かさでも
家族の声でも
一人で落ち着いて作業できる、居間での一時間でも
何でもよいのだ。
 
一つでも心地よさが有ることに気づけば、
それが幸福感の種になる。
 

気づくことも
幸せになるツールの一つだ。
 
 
直子デチェン
1970年千葉県出身
1999年初渡印
チベタン・ライブラリー講座履修
2003年〜2016年
ダラムサラ仏教論理大学聴講(全科目履修)
ブログ https://note.com/dechenblog
のんびりしたインド生活、旅日記、仏教話をつらつら記す。
龍樹著『中論』・仏護著『ブッダパーリタ(仏護註)』・月称著『顕句論』・ツォンカパ著
『正理の海』翻訳
https://www.dechen.jp/ で公開

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