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あらわす

何の思惑もなくただ純粋に
発せられた表現は人の心にとどく。

柔らかくなるほどに熟れた柿を
スプーンですくって食べて
「あまーい」
とニコニコ顔で喜ぶ母をみて

世間に揉まれ、
やや純でなくなっている自分に気づいた。

ただそのままの嬉しさや喜びは
見ているこちらの心も嬉しくさせる。

小さな子どもは
思ったことをそのまま言葉にする。

あまり周りの状況を考えていない。

それを恥ずかしいと感じる大人もいるけれど、
「恥ずかしい」と思い行動を制限する何かは
強すぎると重荷になる。

小さな嬉しさを表現することが
恥ずかしいと感じる人もいる。

言いたいと思っていても
一言の「ありがとう」が
口から出ない人もいる。

そして
嬉しいことを見せられなかった
「ありがとう」と言えなかったと、
一人思い悩む人もいる。

出したいと思っていたことを
外に出せずにいると
それが心に溜まってくる。

心に溜まった澱は
幸せを感じるフィルターを詰まらせる。

幸せも気の一つ。
流れは良い方が感じやすいし
大きくもなる。

出すものはそれに準じた結果をもたらす。
純粋な嬉しさを表現すれば

純粋に嬉しいものごとが
呼ばれたようにやってくる。

あまり考え過ぎず
嬉しいことを嬉しいと表現するだけで
見ている誰かを
和ませることができるなら

やってみて損はないのではないか。

和んでちょい幸せになったその人は、
きっとあなたに幸せの種をくれる。

小さな笑顔一つでも
結構幸せを感じられるものなのだ。


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