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僧院ツアー③~先・先代ロチェン・リンポチェ~

山岳地方の古い僧院の作りに共通しているのか、お城のように上に伸びるキー僧院も、土の壁が厚くて、階段は狭くて急だった。

階段の途中で横に入り口がぽっかり開いていて、その奥に広かったり狭かったり、天井の低い部屋が繋がっている。
まるでイモの根茎に育った芋がくっついているような感じである。

部屋の一部に外壁が当たれば、四角い穴が窓として開けられている。今はガラスがはまっているが、ガラスの無い昔はどうだったのだろう。

蟻塚のような雰囲気のある僧院の中に入ると、自分が何階にいるのか分からなくなる。
何だか異世界にいるような感覚だったことと、訪れてから日にちが経ってしまったので、何が何処にあったのか、はっきりと思い出せない部分はご寛恕頂きたいと思う。

先ず入り口の階から、次の階の入り口はスルーして、もう1つ上の階の、お堂のように広がる大きな部屋に入った。
壁沿いに古いタンカ(仏画)が並んでかかっている。
中央には明り取りの空間が、天井と床を貫いてあったような記憶がある。
電灯は点けられていたと思うが、部屋の端は暗くて、タンカの尊像の見分けもつかないくらいだった。

その広間を出て更に上るとまた入り口があった。
土で作られたままの台所、といった感じで、映画に出てくる土の精の家のようである。
壁に作られた棚にものが並んでいて、部屋の隅には冷蔵庫やコンロがあり、
中央にある広い台には法要で使うものやお供物、お布施の領収証などが置かれていた。
台の端にはトレイの上に2つの大きな魔法瓶があり、1つには甘いお茶。1つにはチベタンティー(塩味のミルクティー)が入っている。そして紙コップ。
キャンディーが入ったお盆。そして、お供物で作られたトルマ(麦焦しと黒糖、バター、干しチーズなどを混ぜて特定の形に作られた供養物)のお下がりが食べ易く一口大に崩されてのっているお皿。
まだまだいろいろあったが、覚えているのはこれくらい。
これらは、参拝者へのお振舞いのためである。

窓はなく、電灯がついていて、柔らかなオレンジ色(褐色)の光で浮き上がったような室内だった。

その部屋の先にはお堂がある。
正面の主尊は無量光如来であったか、釈尊であったか、お恥ずかしいことに覚えていない。
左右にもご尊像が座しておられたと思うが、それより印象的だったのは、 20年前にダラムサラにおられた先代Rリンポチェの古いお写真だった。

Rリンポチェは、ゲルク派のガンデン僧院東寺の元僧院長をなさっていた方で、存命時は教えを受けに伺ったことがある。侍従長をなさっていた先生にも良くして頂いた。
お2人とも亡くなられ、こんなところでお目にかかるとは思ってもいなかったので、びっくりして他のことは全部忘れてしまった。

古い写真に頭をつけて、我が昔き良き仏教徒時代を思い出していた。

お堂の中にはお坊さんが1人、長いカタ(縁結びの白い布)を1枚ずつに切り分ける作業をしていた。
礼拝を終えてお堂を出ようとすると、このお坊さんが筆者を呼び止めた。
「君は、ゲシェ○○の生徒だろ?ダラムサラの?」

実は○○ゲシェラー(○○仏教博士)とはある理由から最近連絡をとっていないので、一瞬どうしようかと思ったが、筆者のことを言っているのはほぼ間違いなかったのでそうだと答えた。
このお坊さんは、ガンデン僧院東寺のダラムサラ分院で、しばらく法要の仕事をしておられたとのことである。
今はキー僧院に留まり、僧院の仕事を助けているとのことだった。
明日からの法話会に向けて仕事も多く、猫の手も借りたいほどの忙しさであることは肌で感じられた。

東寺の先達方の御利益で、お坊さんはいろいろ説明をしてくれた。
さすが、南インドで問答を交えながら勉学を修められた学僧さんで、説明も滔々と聞き取れないほど早口でなさった。

そのお堂の中には、大きなガラスケースの中に立派なストゥーパ(仏塔)が供養されていたが、そのストゥーパはロチェン・リンポチェ17世のストゥーパだという。

もう1つ、屋上の部屋にはロチェン・リンポチェ18世のストゥーパがある。

ここにきて、筆者は初めて、ロツァワ(訳経官)リンチェン・サンポが生まれ変わり続けていることを知った。

このお坊さんから、ラルン僧院の柳の木は、先代のロチェン・リンポチェが地にさした杖から大木になったことを聴いた。
当時、先代ロチェン・リンポチェは馬に乗って周囲を教化して廻っていた。
ラルン僧院はその途中にあったそうである。

このお坊さんは、キー僧院のお堂や瞑想所などの施設について、主だったことを説明してくれた。

さて、この僧院ツアーは2021年9月21日に実施されたわけだが、この日になったの理由があった。
キー僧院に同級生がいると聞いていたので、旧友に会いに行きたい旨をタボ僧院の僧院長先生に申し上げたら、この日が良いだろうと言われたのである。

何故ならば、その前日までは車が空かず、翌日からはロチェン・リンポチェの法話会が始まるので、僧院に住むお坊さんは忙しくて会うことは難しいだろうから。
実際のところ、法話会の前日でも同級生本人はお父様を法話会に連れてくるために僧院にいなかったのだが、全く理に適う理由だった。

その時に、ロチェン・リンポチェについても少し説明があった。
仏教哲学を深く勉強していて、地元のスピティ語で教えの内容を説明できる人はあまりいない。
ロチェン・リンポチェは、おそらく最も巧みにスピティ語で仏法を説明できる人だ。

要するに、「チベット語で書かれたテキストをスピティ語で最もうまく説明できる方だ」とのことだった。

そういえばタボの僧院でも、タボ村の人々へ仏教入門のクラスを催している時、先生は南インドの仏教博士がチベット語で話し、それを地元のスピティ語に通訳する若いお坊さん達がいた。

ロチェン・リンポチェは、今世でもチベット語の教えをスピティ語に翻訳して、人々の心に届くように伝えておられる方なのだ。

『なるほど。訳経官をされた方々は、生まれ変わっても教えを人々に合うように翻訳して伝える方なのだな。』と変に納得し、
屋上の小部屋に設置された18世のストゥーパに礼拝した。

屋上には幾つか部屋が作られていたが、そのうちの1つに古い経典が保管されている部屋があった。
経典は、仏の言葉の写し鏡として、あるいは御心の象徴として寺に祀られていることが多い。
黒ずんだ木製の経棚に、こちらも古くなった布に大切にくるまれて、お経が納められていた。
狭い部屋の壁には、画面が見えないように布で隠された古いタンカが、  1.5m.くらいの高さで1列に並んでかけられていた。

沢山のお坊さんが、長い期間勉学の修習に勤められた古い僧院である。
ソマンのような軽く澄んだ雰囲気というよりは、
重厚な、一種厳しさを感じるような空間だった。

屋上を出て階段を下りる。
再度土の精の台所みたいな部屋に戻り、お坊さんに、キー僧院と法話会のためにお布施をしたいと申し出ると、僧院へのお布施はここで受け付けることができるが、法話会へのお布施はここではないという。
事務所があるから他のお坊さんに訊いてみてくれといわれた。

階段を更に下り、上ってくる時にスルーした入り口に入ると、先程お坊さんが説明してくれた通り、瞑想の修行部屋が幾つかあった。

20人ほどが一緒に修行をできる大きな部屋が1つ。
中央に暖を取るための炉が作られている。
土壁に沿って座布団が置かれていて、参拝者も自由に座り、瞑想することができる。
この部屋も、重厚な感覚がある。

同じ階の反対側には、瞑想修行の個室が作られている。
壁に沿って通路があり、通路から土壁で隔てられた個室が幾つかならんでいた。
扉は無く、通路より40㎝くらい高く作られた床の3方(左右と後)を囲むような形で壁がある。
通路には個室それぞれの正面に、小さな四角の明り取りの窓がある。
これらの個室も1つずつ座布団が置いてあって、参拝者が自由に瞑想できる。
ただ寒い。

瞑想を良くする友人に倣い、少し瞑想をして外に出た。

さあ、法話会へのお布施のために事務所を探さなければならない。
事務所の在処を知っているお坊さんのいそうなところを探して、別の建物にウロウロ入って行くと、

廊下があって、突き当りに人のいそうな場所がある。
中の様子をうかがってみると、中から仕事着を着た小柄な女性が出てきた。
僧院の施設で女性が働いているとは珍しいなと思ったら、この女性は日本語を話し始めた。

つづく。


DECHEN
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