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日常を演じる楽しみ

点①

先日ツイッターでもリツイートさせていただいたTomoさんの記事。

これにとても感銘を受けた。
自分は何のプロだろう?
仕事はもちろんのこと、それ以外でも
何を「プロだ」と思えば気分がアップするだろう?

手を抜かないプロ、ちょっと疲れそうやな。
いつでも笑顔を見せることができるプロ、いいねー。
探し物を見つけるプロ、それめちゃ便利。
とか、しばらく頭の中で楽しい想像を巡らせていた。

記事では「扉を開ければプロ」という言葉が紹介されている。
どんな職種であってもどんな立場の人であっても、お客さんの前に立てば皆同じ「プロ」である、と。

まるで舞台のようだなと思った。
控室で緊張しまくっている新人役者さんでも、この道何十年の大ベテランの役者さんでも、舞台に立てばスポットライトを浴びる「プロの俳優」である。お客さんに楽しい体験を提供するプロ集団になるのだ。役者ひとりひとりのバックグラウンドは関係ない。

ここで言うプロ意識というのはプライドを持つのとは違う。
他者を自分より下に置くことで自分に優越感を持たせるプライドではなく、
自分が実際持っているものや技に対して自信を持たせてくれるのがプロ意識。
私はそんな風に思う。

この仕事ができるだろうか、と不安に思う時も
「自分はプロだ」と信じることで成すべき仕事に集中できる。
自分の力を卑下せずに、打ち込むことができる。
そうすれば実際自分の持つ力以上のものが発揮される可能性だって出てくる。

自分が何者かになるための魔法の言葉とも呼べるかもしれない。


点②

今朝(7月24日)に見かけた井出武尊さんのツイート。

タロット(ペンタクルス、キング)を読んでのこの言葉。

どう見られているかを意識してみる。

他人からどう見られるかではなく自分ファーストで、というのが昨今の流行り。と言うか、それは力を抜いて生きていくための重要なヒントだ。
しかしそれを敢えて逆にしてみようではないか、というのが井出さんの言葉なのだが、ここに遊びが感じられて良いなと思った。

遊べる余裕がある、と言おうか。

まずは自分ベースで、他人の評価はさておき自分が心地良いように、はもちろん大事。
でも段々それが上手くできるようになってきたら、こんな遊びもできるようになるよ、というメッセージにも感じられる。

ダサく見られたくないからカッコつける、という消極的な理由ではない。
こんな風に見せてやろう、どうだ?と意図的にカッコつけてみる。

一張羅の服を着て、これが私の普段着です、と言うかのようにさっそうと街を歩いてみるとか。
金メダル級のアスリートになりきってジョギングしてみるのも良いかも(これ、実際やってみた笑)。
通勤時に、私は実は億を動かす仕事をしてる人間なのだ、という顔をして電車に乗ってみる。
お忍びハリウッド女優という設定で1日過ごしてみる。

「ごっこ遊び」をしているようで想像するだけで楽しい。
心の中でちょっと意識してみるだけでこれだけ変わる。

繋ぐ

上記2つの点から見えるキーワードは

「演じる」

演じるというと、本来の自分とは違う役割を務めるという意味もあるが
ここでは別の解釈をしたいと思う。

プロ意識を持つのは、自分の技を信じること。
プロとしての自分を演じることで、技が上手く発揮できる。
演じるとは言え、その技を発揮しているのは紛れもない自分自身である。
プロ意識は単なる演技ではない。

敢えて何者かを演じてみるのも人生の遊びとして楽しい。
その演技だって、元はというと自分の想像力から生まれたのだから
それも自分の一部だと言える。
そうすることで知らない自分にふと出会うことだって起こり得る。

「この世は舞台、人はみな役者」
とシェイクスピアも言っている。

自分を偽るためではなく、楽しむための演技をしながら
与えられた本当の役割が見えてくるかもしれない。

さて、明日は何になってみようかな。


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