#8 リベラルアーツを知る

リベラルアーツとは何か

 今回はリベラルアーツについて語りたいと思います。僕の過去記事#1でも取りあげましたが,ギリシャ時代にその礎が確立し,ローマ時代に自由七科として整理されたものが一般的にリベラルアーツと呼ばれています。リベラルアーツを文字通り解釈すると,リベラルは自由(liberal),アーツは技術(arts)と訳され,学術的には「自由人の諸技術」と表現されます。ここでいう自由とは,歴史的,学術的にさまざまな解釈がなされますが,一般的には「実用性からの自由」とされています。実用性とは職業や教育のための技術を意味しており,この技術に関する知識(技術知)は「テクネー」と呼ばれ,特に奴隷的技能とみなされていました。つまり,自由とは奴隷的に使役された人々に対して半ば強制的に身につけさせられた実用的技術からの開放を意味しているのです。
 また,アーツという言葉は一般的に「芸術」と訳されますが,技術であれ芸術であれ,アーツが意味するのは「人間が作ったもの」ということです。この考え方は,自然(nature)と対比される概念が芸術・技術(art)であると解釈され,西洋文化における自然と人間との対立構造を示しています。この点を少し補足すると,西洋において自然というものは人間の力によって克服,あるいは制御する存在であるという考えが根底にあります。これはヨーロッパの大陸性気候(ものすごく簡単に言えば乾燥した気候)が関係していて,そこでは食料資源を求める際に移動する,すなわち採集・狩猟を中心とした生活が営まれ,現在でも当時の考えが引き継がれています。したがって,ヨーロッパの人々にとって,自然とは人間に相対する存在だという考え方になるのです。それに対してアジアでは湿潤な気候が卓越し,その結果として稲作を中心とする多様な農業が発展しています。特に日本においては森林資源や海洋資源も豊富にあり,自然というものは人間と共生していく存在として古くから認識されてきました。
 話が自然と人間の対立という方向にそれました。話を元に戻すと,結局のところリベラルアーツとは,職業や教育から解き放たれようとする風潮の中で生まれた,人間が作り出した知識や技術であるということになります。

自由七科の中身とは

 では,こうした環境下で確立された自由七科とは何なのでしょうか。自由七科はローマ時代(4~5世紀ごろ)に7つの科目に限定されたと言われています。その七科とは言語に関する三科(trivium)と数学に関する四科(quadrivium)で構成されていて,さらに三科は文法(grammatica),修辞学(rhetorica),論理学(logica),四科は算術(arithmetica),幾何(geometrica),音楽(musica),天文学(astronomia)と分類されます。
 これらの学問について,まず言語に関する三科について解説します。1つ目の文法は言語のルールを整理したもので,当時はラテン語やそれに由来する文学の理解が中心でした。2つ目の修辞学は弁辞学とも言われ,議会での演説や裁判での討論など相手を説得するための「話し言葉」としての技術を起源としています。その後「書き言葉」としての技術が中心となり,詩の表現技術や公文書の技術などに発展していきます。3つ目の論理学は考え方や法則を研究する学問として現在でも認識されています。皆さんも高校の数学で「かつ」「または」とか「必要条件」「十分条件」といったものを学んだかと思いますが,こうした数理論理学がその代表的なものです。
 続いて数学に関する四科を解説します。1つ目の算術は数の概念や計算をあつかう分野で,中学や高校の数学ではじめに習う四則演算や文字式の計算などがその具体例です。当時はキリスト教の祝祭日を計算することから発展してきたとされています。2つ目の幾何は中学や高校の数学で言うところの図形にあたる分野です。当時はユークリッド幾何学を学ぶことがその中心でした。ユークリッド幾何学とは,平面や,歪みのない空間に関する図形の性質を探求する学問であり,現代では曲面や歪んだ空間を学ぶ非ユークリッド幾何学へと発展しています。3つ目は音楽です。音楽が数学と関係しているということは多くの方がご存知とは思いますが,そもそも音とは物理学における波であって,さまざまな長さの波を数学を用いて分解して整理したものがドレミで知られる音階なのです。当時は声楽や作曲の技法が中心でしたが,先に述べた音程を中心とする楽典と呼ばれる分野へと発展していきます。4つ目の天文学は,天体に関する学問として現在でも知られています。古代から天体のしくみを解明する試みが行われてきたのは皆さんもご存知かと思いますが,当時は占星術に関する内容が中心であったようです。

リベラルアーツを現代的視点で見ると

 以上に述べた自由七科の重要性を現代的に解釈してみましょう。まず,七科のうち三科は文法に関する内容,現代の教科で言えば国語に該当します。そして四科は数学に関する内容,これは現代でも同じく数学に該当します。すなわち,ローマ時代の自由七科は現代の国語と数学ということになります。国語の重要性については前回お話しましたが,同様に数学も重要な学問だと考えています。
 ここで数学の重要性についても僕なりの考えを述べておきたいと思います。そもそも数学は,理科と同じく自然科学に属する学問だと解釈されています。その考えも間違いではないのですが,個人的には数学を自然科学の一分野とするには違和感を感じています。なぜなら,自然科学は文字通り自然を扱う学問体系であり,物理現象や化学的な反応,生き物や地球を対象とする理科は自然科学と言っていいと思いますが,数学が対象とするのは自然ではなく,むしろ人間が作り出した数字という記号です。ではなぜ数字という記号を使うことになったのか,それは世の中のさまざまな現象を数字で表したほうが簡単で便利だからです。すなわち数学という学問は,複雑な現実を数字や記号を使って概念化することで現実世界を簡略化して解釈しようという学問だということになります。こうした考えに基づく学問体系は「形式科学」と呼ばれています。そして僕が数学を重要だと考える根拠は以上に述べた数学の性質にあります。つまり,複雑な世の中についてあれこれ考えるためには数学の力が必要不可欠であるということです。これは日常生活における買い物や料理などはもちろんのこと,ビジネスや他の研究分野でも数学が活躍しない場面はないといっても過言ではありません。
 以上,リベラルアーツ,特に自由七科の重要性を現代的視点で見ると,我々社会人にとって重要なのは国語と数学の能力であるということになります。そしてそれは,教養(すなわち長期的視点において役に立つ能力)にとどまらず,短期的視点においても役に立つ能力でもあると思います。

おわりに

 今回はリベラルアーツ,特に自由七科についてその内容と現代的な意義について僕なりの考えをお伝えしました。最終的には国語と数学が大事だという結論となりましたが,皆さんはどのような考えを持たれたでしょうか。数学は好きな人と嫌いな人がはっきり分かれる学問(教科)かと思いますが,今回の記事をきっかけに,数学が嫌い,あるいは苦手という方も,その重要性を知っていただけたら幸いです。今後は,数学が身近に使われている例をいくつか紹介できればと思っています。本日も記事をご覧いただき,ありがとうございました。

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