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(第16回)観光地のライブカメラに写りに行く


 90年代の初め頃、テレビで見た「イギリスの監視カメラ社会」の実態を見て、怖い世の中だなと思った。当時の日本にも防犯カメラなどはあるにはあったが、まだまだあまり人の目につかないところにあるという感じだった。それから30年近い時間が経ち、すでに日本は完全な「監視社会」である。

 へんなたとえだが、だれかが人をあやめ、その死体をクルマでどこかに遺棄しに行こうとすれば、その行動のすべては監視カメラに拾われ、必ずや警察権力の手中に落ちる。コンビニの店先、コインパーキングの入り口、駅、学校、商店街、マンション、民家の軒先まで。いまや、あらゆるところに監視カメラが置かれ、知らない間に我々の行動を見張っている。

 防犯を優先させた監視社会が安心・安全の土台となっているのか、それともたがいに監視しあう無数のカメラが人々のプライバシーを脅かし、国家権力からの抑圧を受ける端緒となっているのか。その議論は果てしないし、この稿の主旨ではない。

 いま、国内に無数のカメラが存在しているのは事実だ。そうであるならば、それを逆に楽しんでしまおうと思ったのである。

 ことの経緯はこうだ。ある日、取材で新潟から秋田へと続く「羽後浜街道」を走っていた。途中でお腹が空いてきたのだが、どうせならいい店を探したいと思った。だが、クルマを止めてリサーチをする余裕もなかったので、ふと遊び心で、東京にいる事務所のスタッフに、いまいる道の沿線での店探しを依頼した。

 移動しながら、適宜こちらの場所を東京に報告した。業務の手が止まるので、最初はめんどくさがっていたスタッフだが、そのうちに「自分が旅行しているみたいでおもしろくなってきた」と言いながら、数キロ先のマニアックなラーメン屋や「7号線食堂」というホテル・カリフォルニアみたいな掘っ立て小屋系の定食屋を推してきたりした。

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 そのうちに、この先にある道の駅にライブカメラがあって、いまデスク上のパソコンでオンタイムで見られるから、そこへ写り込んでみろと言ってきた。私は、即座にその馬鹿な話に乗った。

 秋田県の象潟(きさかた)海岸。日本海を見渡せる丘の上。芝生の敷き詰められた公園にカメラが向けられている。不特定多数の人間が閲覧可能なこのホームページのライブカメラの解説には、詳細な場所などは書いていない(らしい)。スタッフが常時映る映像を手がかりに、私に口頭で場所のヒントを伝え、カメラを探し出しそこに映り込むのである。そして、「写り込み」が確認されたら、それを画面キャプチャーし、「ほら、こんなマヌケ顔が拡散されましたよ」と私のスマホに証拠写真を送ってくるのである。

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                          旅先なのに東京のパソコン画面に写り込んだ間抜けな男

 これら一連の行為になにも意味はないし、だからどうだというお役立ち情報もない。だが、ただひたすら楽しかったのである。

 この「写り込み遊び」は取材旅行の間何度となく行われ、最後に日光東照宮、二荒山神社での「小学生に混じって写り込んだ渾身のカット」で終了した。

 観光地のホームページなどを眺めてみると、24時間流れ続けるライブカメラが多数あることがわかる。また、ライブカメラの存在を知ったいま、そういう観点で施設内をキョロキョロしていると、こちらに向けられたカメラと目線が合い、思わずはっとしてしまうこともある。

 はたして、この手のライブカメラはなんのための存在なのか。犯罪抑止の役割もあるのだろうが、自分が知らないうちに写り込んでしまい、悪意ある第三者にそこにいるという事実を把握されてしまう。米国・ラスベガスのギャンブル会場などで撮影や録音を激しく嫌う類の「観光地プライバシー」の問題である。

 もはや観光地と監視カメラはセットだと思っていたほうがいい。だが、これが「たのしい観光地」であるための手段ならいいが、旅人を息苦しくさせるだけの意味のない「重し」なのであれば、それはそれで考えものだ。

 観光地で監視カメラと目を合わせる。ぜひ、みなさんにも体験してもらいたい。

〜2018年4月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂


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二荒山神社に設置された監視カメラと監視カメラに写ったライブ風景。


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