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「勢い」で出現した『日本原人の謎』

 ようこそ、もんどり堂へ。いい本、変本、貴重な本。本にもいろいろあるが、興味深い本は、どんなに時代を経ても、まるでもんどりうつように私たちの目の前に現れる。

 その昔、坂本龍馬の文献を徹底的に調べていた時に、たかだか約100年前のことなのに諸説が入り乱れ、ひとつしかないはずの「事実」が右往左往していることに驚いた。人類の進歩だなんだというけれど、「ライフログ」のように、一般人にまで広がるような「記録能力」を持つようになったのは、ほんの最近のことなのである。

 いまから50万年前、日本人の祖先はいったい誰だったのか。こんな「右往左往」どころか「五里霧中」なテーマで、ある日私の目の前に現れた本がある。『日本原人99の謎』(松崎寿和著、産報ブックス、昭和50年発行、入手価格105円)である。

 解説にはこのようにある。「原人といえば、北京原人が有名だが、日本にも人類の祖先の道筋にある『日本原人』がいるにちがいないと信じたのが松崎先生で、広島県の帝釈峡で十五年にわたる執念の発掘作業を続けている。そして、二万年から三万年まえといわれている人骨をとり出すことに成功。追求の網は徐々にしぼられている」(小片保新潟大学教授)

 日本原人? 聞きなれない話だが、何やらおもしろうそうだ。目次からいくつか拾ってみる。

 「日本原人は小人だったのか」

 「日本中いたるところに原人はいたと考えられる」

 「私は五十万年以上まえの原人発掘を信じている」

 「私は日本古代史をこう書きかえたい」

 「帝釈峡にかける夢」……。

 ん? ふと、何かが理解できた。すべては「願望」であると。

 どうやら「日本原人」の信ぴょう性はほとんどなく、「日本原人がいるらしい。いや、いてほしい、カマーン!」という強烈な願いがこの本を生み出したようなのである。

 出版不況と言われる昨今、大手版元でさえ一冊の企画に役員総出で出版の検討がなされていく。そういう場では、著者の願望や思い込みはあまり歓迎されず、確実に売上につながるマーケティングが重視される。

 もちろん、商品は売れたほうがいい。だが、もし、そこにある著者の情熱と「おお、そうだよ、日本原人いたらやべーよ」という読者側の願望との相対関係が生まれるのであれば、それは立派な商品であり、まさしく出版の意義なのではないのか。な~んてことを考えていたのかどうかは今となっては知る由もないが、とにかくこの本はもんどってきた。

 もうひとつ手にした『謎 戦慄の人体発火現象 世界各国で事件続発』(ラリー・アーノルド著、並木伸一郎訳、二見書房、入手価格105円)。

 人は睡眠中や談笑中、勝手に自然発火でボーボーと燃えてもらいたい。役員会議を見事素通りしてしまったこんな「オカルト的願望」が、珍奇でホットな商品を生み出した。

  出版とは「勢い」、そんな時代が確実にあった。

                     (2014年 夕刊フジ紙上に掲載)

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