再録「あのときアレは神だった」〜千代の富士
テレビアニメ、漫画、スポーツ、アイドル歌手などなど。
実在の人物から架空のものまで、
昭和にはさまざまな「キャラクター」が存在した。
われわれを楽しませたあの「神」のようなキャラクターたち。
彼ら、彼女たちの背後にはどんな時代が輝いていたのだろうか。
懐かしくて切ない、時代の「神」の軌跡を振り返る。
(2016年より、夕刊フジにて掲載)
◆
千代の富士が逝った(2016年当時)。強い力士であるということも然ることながら、筋骨隆々な身体と端正な顔立ちで「カッコいい」力士であった。
最近は、肥満の男性や女性に対し、「デブ」という言葉は使わずに「ぽっちゃり」などという謎の言葉を使う。だが、相撲は断然、「デブのスポーツ」である。
でかくって肉がいっぱいついていて、飯もよく食って、そんな「デブ」が力と技の限りを尽くし、勝負の世界に命をかける。
もちろん、神事や国技であるところの部分はなんとなく認めてはいるけれども、やっぱり、子供たちの目に映るものは、強い重戦車のようなデブ同士がぶつかり合う「迫力の瞬間」なのである。
その昔、デブは(栄養状態がいいということで)敬われていたし、(大きくて強そうということで)畏れられていたし、(動きが遅く、見た目がスマートではないということで)けっこうからかわれていたりもした。このことは、肥満児小学生だったわたしにはよく分かる。おおらかでやさしそうなんていうのは、とってつけたような話だ。
そんな「デブ」のイメージを張り手一発でふっ飛ばし、相撲の世界に微妙に残っていた「カッコ悪さ」を払拭した。それがこのウルフだ。
婦女子には存在が曖昧だった「ちょんまげ姿の太ったお相撲さん」から、めちゃめちゃかっこいい「アスリートとしての力士」へと、横綱の姿を変化させたのが、この千代の富士なのであった。
国技としての気品や風格。それももちろん大事だ。だが、エンタメ全盛時代。ポップスターの「カッコよさ」もなければ、世間の最上位には君臨できない。それは神事である相撲の世界でも同じことなんじゃないかと、改めて思う。
千代の富士が、そのことを意識していたのかどうかは分からない。だが、カッコつけなくてもカッコいい横綱だったことだけは確かである。(中丸謙一朗)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?