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(第7回) ”神田川”沿いの青春

↑新宿高層ビル群が間近に見える神田川沿いの風景。


 「神田川」

 言わずと知れた70年代フォークの名曲である。乱暴に言うと、「青春の象徴」「純愛の象徴」「絶望のような希望」、そんなところだと理解する。

 私はこの歌詞に歌われた時代よりは下の世代なので、青春とは、「キャベツばっかりを齧っていたり」(かぐや姫の別の歌詞)、いちいち銭湯に行かなければならないような「しんどい」もので、兄貴たちは、いや翻って俺たちは、これからいろいろと貧乏くさいことを体験しながら、ほんとうのおとなになっていくのだな、と勝手に納得していた。

 歌のモデルになった神田川は、東京都三鷹市にある井の頭恩賜公園「井の頭池」を源流とする一級河川だ。三鷹市、杉並区、中野区、新宿区、豊島区、文京区、千代田区、中央区と多くの自治体と隣接し、それぞれの場所でそれぞれの景観と物語を生んできた。

 神田川は大都会のど真ん中を流れる川だが、全区間に渡って開渠だ。急激な都市開発に伴う生活排水などで、一時はドブ川と化していた川だが、いまでは整備され、きれいな水に魚が泳ぐ、流域住民の癒やしの空間となっている。

 楽曲『神田川』の舞台は、豊島区戸田平橋付近と言われている。この近くの「三畳ひと間」に住んでいた作詞家・喜多条(喜多條)忠氏(故人)の青春時代の思い出がベースとなっているという。

 中野区・末広橋近くの公園内に『神田川』の歌碑が建てられている。地下鉄丸ノ内線の中野坂上駅から山手通り沿いを北上し、JR東中野駅方面へ向かう途中の神田川の流域である。

 このあたりを歩く。新宿方面を眺めると高層ビル群が間近に迫り、大都会にいることを実感させてくれる。たしかに川沿いにはアパートも多いが、どれも小ぎれいな感じで、もはやユーミンが「四畳半フォーク」と喝破した雰囲気はあまり感じられない。

 川沿いをそれ、路地裏に入ると楽しそうな若いカップルとすれ違った。遠くから眺めると、どことなく70年代の雰囲気だ。どうやら隣国出身のカップルらしい。不動産業者によるとこのあたりの外国人居住者の数は増加する一方だと言う。彼らがいまこの日本で、青春の象徴「神田川の世界」にいるのかどうかは定かではない。

 たしか、往年の山口百恵主演ドラマ『赤い衝撃』(TBS系列)でも、神田川周辺は使われていた。親の敵役との禁断の恋に悩む百恵ちゃんと三浦友和が、神田川沿いで大げさな口論をする。「もう愛してないのね」と散々すねて車椅子姿で街に飛び出し神田川沿いで恋人三浦友和に「捕獲」された百恵ちゃん。さんざん深刻ぶって悲劇の言葉を並べたが、一分にも満たない男の説得でころっと愛が「好転」してしまう姿に、こどもながら神田川沿いの魔力を感じた。

 思えばわたしもこの川沿いには縁がある。中野区から杉並区に連なる神田川と善福寺川の中洲地域にも長く住んだが、このあたりには神田川の文化的意味合いと洪水に脅かされてきた歴史があいまったような独特の匂いがあった。

 杉並区の神田川沿いには、永福町、浜田山、久我山などの街がある。そのあたりを仕事場にしていた折には、瀟洒な街並みのなかに位置する神田川沿いを散歩やジョギングをし、武蔵野の落ち着いた風情を味わった。

 都会の中心部の放り出されたような怖さ、川面に象徴される移ろいやすい心情。「神田川の世界」。いまや都市として安定した東京のなかでそんなものを探し当てるのは、もしかするととても贅沢なことなのかも知れない。

〜2018年5月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂


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杉並区浜田山付近の神田川は都心とはまた違った表情を見せる。


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中野区の末広橋近くにある『神田川』の歌碑。

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