(第20回)なにもない場所。宗像大社辺津宮・高宮祭場
なにもない場所でなにかを味わうには「技術」がいる。そう思うようになったのは、私自身かなり年令を重ねてからのことだ。
東京郊外にある自宅の周辺に「旧甲州街道」が走っている。甲州街道(国道20号)とそれに平行して走る(新設された)バイパスを、斜めにつなぐように走っている、住宅街のなかの細い道だ。まるで歴史の切れ端のような、150メートルほどの短い道である。
道の中程に古い神社がある。神社のとなりの土地は、その昔、幕府の罪人関係の施設が置かれていたらしいが、いまは静かな公園になっている。
その道から遠く日本橋方面を望むと大きな河川(浅川)がある。視界の先にはあまり高い建物はなく、薄暮の時間、散歩などをしていると、ふと、「ああ、江戸時代の人もこれと同じような景色を見ていたのか」という気分になる。
もちろん、江戸時代にはふさわしくない格好の民家やバイパス沿いのカーディーラーの看板などが見切れる。だが、「その気になって」眺めてみると、現代の景観のなかから、昔の残像がふっと湧き上がってくる。気の早い老人趣味の一端ではないが、土地の歴史や観光に興味を持ち続けてきたことで、「なにかを味わう技術」がちょっとだけ上がった、そう思えば、けっして悪い気はしない。
「なにごとのおわしますをばしらねども かたじけなさになみだこぼるる」。
これは、伊勢神宮で西行法師が詠んだ歌である。どなたがいらっしゃるのか、あるいはどのようなことが行われていたのか、その詳細はわからないし目に見えないけど、ただただ、そのありがたさ、温かさがこころに染みる。そんな歌だ。
時折、人は、神宮にそのパワーを貰いに行くなどというが、かたじけない、人間ごときが汚しにいくことを反省したくなる。
そして、あまりにも人が多い。とくに内宮の拝殿の周囲には人だかりができており、神のおわします「現場」の写真撮影は不可だが、その周囲での記念写真に「興じる」喧騒はいささか風情がない。かたじけなさに涙をこぼそうとしても、集中できずに終わる。(そういう意味では、夜明けとともに出向いた、外宮の数人しかいない拝殿での体験は筆舌につくしがたいものだった。)
「なにもない場所で、なにかを味わう」のに、最適な場所を観た。それは、宗像大社にある「高宮祭場」という場所だ。
宗像大社は、玄界灘の沖合60キロメートルに位置する沖ノ島にある「沖津宮」、九州本土よりの筑前大島にある「中津宮」、九州本土、福岡県田島地区にある辺津宮(総社)の総称である。昨年、この三社および関連遺産群が世界遺産に認定された。
高宮祭場は、辺津宮(総社)の本殿から山道を20分ほど登っていた場所にある。森林のなかの開けた場所で、宗像大神の降臨の地と伝えられ、沖ノ島と並んで宗像大社境内で、もっとも神聖な場所のひとつとされている。
樹木(神籬=ひもろぎ)を依代(よりしろ=神霊が依り憑く対象物)としており、社殿が建立される以前の神社祭祀(庭上祭祀)を継承する、全国でも稀な祈りの空間である。
平日の昼間。高宮祭場を参拝した。本殿から遠いせいか参拝客はまばらだ。
森の一角にちょっとしたホールほどのむき出しの土地がある。高い木々の間から差し込む木漏れ日がなんとも幻想的だ。その土地は簡単に木の枠で囲いがなされている。「聖なる場所」へと通じるアプローチはほとんどなく、それが新鮮であり、またとまどいでもある。
古い木の小さな賽銭箱が置かれている。祭場を間近からあらためて眺めてみる。人工物は一切なく、土、木、草、石、などがあるだけである。
偶然人は誰もいなくなり、音も消えた。そこに神を感じるかは、その場に対峙した人の個性やその場の状況に依る。ただ、私はすごくたのしかった。なにもない空間なのに、まるでなにかがあるかのように感動し、興奮して山を降りた。
〜2018年9月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂
神聖なる土地。宗像大社辺津宮「高宮祭場」
世界遺産「宗像大社」辺津宮境内。博多からクルマで約1時間。
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