見出し画像

(第12回)「なごり雪」〜線路の先の物語」

 なごり雪。なんてきれいな言葉なのかと思う。この歌が世に出た当初は、「なごり雪」ではなく「名残りの雪」というのが正しい日本語だとクレームもついた。だが、いまやこの「なごり雪」は、堂々とした(情緒たっぷりの)日本語として、歌い継がれていく切ないメロディとともに、広く認知されている。

 この歌の舞台は正確には書かれていない。東京のどこかで、故郷へと帰っていく恋人を悲しげに見送っている、そんな歌だ。

 この歌の歌碑は、大分県津久見市にある。作曲者の伊勢正三が、この地の出身だからである。『なごり雪』はイルカ(歌手)の歌という印象もあるが、もう少し前のフォーク世代にとって、やはりこの人、「かぐや姫」の正やん(伊勢正三)の持ち歌といったほうがしっくりといく。

 九州というと南国のイメージもあるけれど、北九州などではけっこう雪が降る。だが、北や東から訪れる人間にとってここは、なごり雪を連想させるような風情ではない。

 「線路の先にはロマンがある。日本中、どこか誰かと繋がっている。思えばあの日、ここから僕の夢は旅立ったのです。ホームと言えば、心の奥深くいつもこの景色があるのです」

 津久見駅の片隅にひっそりと設置された歌碑に、伊勢正三氏はこう記した。津久見駅への思いが(東京を舞台とする)『なごり雪』を生んだと、しずかに主張する。

 津久見は、九州の東海岸にあたる海沿いの街である。杵築(きつき)、日田(ひた)、臼杵(うすき)、津久見、佐伯。大分の入り組んだ海岸線にはなんとも風情がある。前述の「かぐや姫」で組んだ故郷の先輩、南こうせつ氏(おいちゃん)は、大分(竹田)を出た流れ者を気取っていたのに、その(南向きの)土地の佇まいと海辺の風情があまりにもよくて、いつのまにか(同じ大分の)杵築の海沿いの土地に落ち着いてしまった、と筆者の行ったインタビューのなかで語っていた。

 また、このあたりの海岸線には、大小の離島もあり、津久見港からフェリーが行き交い、地元の人々や観光客を運んでいる。離島での風景や生活は都会のそれと比べるべくもないが、近年、その素朴さと温かさが若い旅人たちを引き寄せ、しずかなブームになっていると聞く。

 津久見市の南、小さな港町・蒲江を舞台にした小説『九年前の祈り』は、蒲江(佐伯市)出身の作家・小野正嗣氏によって書かれ、2014年度の芥川賞受賞作となった。

 入り組んだ湾の背後に山が迫り、まるで湖のようにも見える蒲江の港に舞い戻ってきた女性を包み込む周囲の目。その女性の目に写っていたフランスの景色。それらが織りなす情景世界。

 海のゆらぎ、空の輝き、子どもを見る目、祈りの空間。

 主人公が佇む静謐な町。だけどそれは人気のない、冷え切ったしずけさではなく、穏やかな日常が醸し出している安寧のしずかさ。小説世界が描き出す風情なのだけれど、大分の入り組んだリアス式の東海岸には、訪れた誰もが、そんなものを感じてしまう。

 『なごり雪』には、出会いの場となった「東京」があり、ほんとうの自分に戻る「故郷」が描かれている。おとなになり故郷に帰るきみと、子どもの思いを故郷に残し、東京に留まろうとする僕。

 なごり雪はどこにでも降る。

 全国を結んでいる線路は、まるで物語のしおりのようだ。

〜2019年4月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂


画像1

津久見駅にある「なごり雪」の歌碑。


画像2

大分の入り組んだ海岸部には人知れぬ物語が眠っている。写真は蒲江港(佐伯市)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?