こむぎのぼうけん
「あれは猫じゃないわよ」
確かにそうだ。よく見たら、いやよく見なくても猫じゃない。
彼女は続けた。
「でも、猫の大元だって話は聞いたことある」
つまり僕は、猫にそんなには似てないのに猫の大元であるらしいそれを一瞬猫に見間違えたというわけだ。
まあ猫云々は置いておいて、それはとても美しかった。
暫く見とれていると、それが振り向いて僕を見た…気がした。
「あれは私たちになんか興味無いわよ。とても高貴な存在なんだから」
「はは」
「でも、あれがいるってことは、もう外に出ても大丈夫ってことね」
僕はこの辺りに来るのは初めてだから、彼女の言葉がにわかには信じられなかった。いや確かにあの高貴な動物が徘徊しているのだから、ここはもう宇宙の側ではない筈だ。
けど、僕らが乗っている船は宇宙を航行してきた時と何もかわらず空間を移動しているし大気圏というものに突入したということもない。なんというか宇宙という空間と陸地?が酷く曖昧な場所だった。
「これが銀幻天か」
僕がそう呟くと、また彼女が否定した。
「銀幻天の手前の端っこね」
銀幻天は星ではない。言ってみれば「天」だ。そう言い換えたところで自分でも意味がわからない。まあ僕からしてみれば、それは銀河一個分くらいあるとてつもなく大きい島とでも言えばいいのか。でもそんな例えをしたらまた彼女に否定されそうだ。
かつては、ここが宇宙の中心と捉えられていたようだけど、どうもそうでは無いらしい。それでも僕ら周辺の人類種にとっては相応に中心的な存在であり神々しい場所だ。で、その手前の端っこまで来ている。正確には銀幻天の外側だ。
「しかしわざわざこんなところまで来るとはねえ」
「割と古風なのよ彼らも。商売はフェイストゥフェイスが基本っていうのかな」
僕らはこの辺りに住む別の人類種との取引交渉にきたのだ。といっても半分は向こうの厚意で観光を兼ねていた。向こう側からの誘導がないとこの辺りまでは容易には来れない。
で、本題である取引の主役は「小麦」だ。
小麦は僕ら側の星系での前の代の人類(サピエンス)が残した負の遺産だ。
収穫の効率も悪いし、栄養価も低い。なのに異様なまでに大量に生産した。
麦類の主役が我らがゼパウロス麦(ゼ麦)に取ってかわるまで何世代要したことか。それでもまだ在庫が倉庫星ひとつ分まるまる残っている。
その倉庫星ごと格安で払下げられたのが廻りまわって今僕らの手元にある。僕自身はこれに直接かかわっていないので経緯はわからないが、まあちょっとした厄介の持ち回りみたいなものだろう。皆この世界最後の小麦の処分に困っていたのだ。
そして、都合のよいことにその小麦をこの銀幻天前の商人が買取りたいとの連絡を入れてきたという寸法だ。
「もうすぐ着くわ」
僕たちは船を降りた。相変わらずそこは不思議で曖昧な地上だったけど、慣れれば居心地は悪くなかった。そして商人があらわれた。
彼は僕らとは違う人類種だったが、コミュニケーションに特に問題は生じなかった。そもそも連絡を取ってくる時点で、互いに同等の認識レベルを有した似た者同士であることはこれまでの経験でも明白だったし、人類種なんて殆どはそんなものだ。例外もあるにはあるが。
「小麦なんてどこで知ったんです?」
僕は彼に訊ねた。これを欲しがるなんて余程の物好きだし、そもそも他の人類種は知らないものだ。
「ええ、あなた方の先代種の研究をしているものがおりまして…」
僕らの先代がこんな離れた場所の存在に認識されているとは驚きだった。そして、その先代が憑りつかれたように生産していた小麦に興味を持ち、研究したいとのことだった。更に現在繁殖させている動物の飼料としての使用も考えているそうだ。
「なるほど…わかりました。それでいかほど必要で?」
「ええ、可能でしたらあなたの倉庫にある全てを」
僕と彼女は顔を見合わせた。交渉は成立だ。こんな幸運めったにあることじゃない。ゼ麦の売買に比べれは利益なんてタダみたいなものだったが、小麦が捌けたら倉庫星も別用途に使えるかもしれない。
心の余裕ができた弾みか僕はこんなことを訊ねた。
「ところで私たちの先代種の研究とおっしゃっておりましたが…その先代はなぜ滅びたんでしょう?私たちの星団にはそれらしき記録が見つかっていないんです」
「私は研究者ではありませんからよくわかりませんが、滅びたのではなくあそこに向ったなんて話もあります」
そう言って商人は遠く銀幻天の中心を見つめた。
「ははは、まさか」
「ええ、あそこに入れる人類なんていないでしょう」
意気揚々とした帰路、僕は彼女にこう言った。
「廃星に寄っていかない?」
「ええ?退屈よあんなところ」
「ビバーオのグリーンソーダがある廃星を見つけたんだ」
「エスメラルダ?スモーキー?」
「両方」
「行く。絶対行く。」
それから暫くしてのことだった。周辺宇宙の多くの人類種の間で「ラーメン」なる食べ物が大流行した。それには材料として小麦で作った麺が必須だった。あの商人が買い取った小麦は再び繁殖に成功し絶滅を免れた。
僕と彼女もすっかりラーメンのファンになったし、あの小麦からこんなものを作るなんて宇宙には凄い天才がいたもんだと感心しきりだった。
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