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人のスペクトラムを大事にする

こんばんは。Koseiです。
普段は大学生をしています。
今日は「人のスペクトラム」について書こうと思います。
スペクトラムというのは、分布範囲とか、物理的には光のスペクトラムなどという意味でのスペクトラムです。ここでは簡単に種類の広がりという風にしたいと思います。

ところで皆さんは、人付き合い、得意な方ですか?
人と話すの大好き!と言う人もいれば、出来れば一人がいいなぁ。と言う人もいると思います。まさに十人十色ですね。

僕は、人と話すのは好きなのですが、あまり継続的な人付き合いが得意ではありません。典型的な一人大好き人間です。(昨日の記事は「遠くに行くこと」でしたが、大体一人で行っています笑)
大学でも、一人行動をするのが好きなので、お昼休憩には一人で優雅にパン屋さんに行ってココアとパンを買って、楽しんでいます。

と、ここまでの僕の自己紹介文を読むと、最近流行りの「大学生ぼっち」や、「陰キャ」というワードがちらつくのではないでしょうか。

私個人の意見なのですが、こんな感じのワードを用いて人を判断するのは、思考の射程距離を減らしてしまうのではないかと思っています。
なぜかというと、これらのワードは、そのカテゴリーの中の個人(グループ内のスペクトラム)を見ることなしに個人を判断できるようにするという働きをすることがあるからです。

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(イメージ図)

図は、今作ったものなので分かりにくいかもしれませんが、私達があるグループに属している(とされる)人を見るときには、そのグループの人「らしい」イメージの人物をモデルとして、個人を見ていないことがあるのではないか、と言うのを示そうとしています。

一応言い訳をしておきますと、別に陰キャという言葉を使用すること自体に反対はしません。それは自由だと思いますし、この単語を考え付いた人はすごいなぁと思います。

ここで言いたいのは、何かしらのグループに属している人の事について考えるときや、判断するときに、グループのイメージに惑わされることのないように気を付けなければ思考の射程距離が短くなってしまうのではないか、ということです。
つまり、「○○は◇◇だから・・・」という考え方って、割とグループ内のスペクトラムを無視して物事を語ってしまっていて、危険なのではないかと感じるのです。英語ではovergeneralization, 一般化のし過ぎですね。グループではなくても、もしかしたら、あなたは○○だからというのも一般化のし過ぎになるのかもしれません。

日本人だから、男だから、女だから、大学生だから、…身の回りにはこんな感じの文句って、結構あるのではないでしょうか。「街ゆく人の声は○○だから~」っていうのも、この考え方になっちゃう危険性をはらんでいそうです。
さらに、こういう枠ってなかなか抜けられないんですよね。個人の一般化のし過ぎの例になるのですが、実は僕、中学校まで伯父さんが怖くて怖くてたまらなかったんです。それで、高校生になってそんなに怖くなくなったかなぁと思ったんですが、周りの人に「Koseiは伯父さんが怖いもんなぁ、かわいそうに。」と言われて、なかなかその伯父さんと仲良くできなかったんですよね。あの時は本当に困りました。「僕」という存在にもスペクトラムがあって、その時は仲良くできると思ったのですが、昔の「僕」のイメージが強かったみたいです。

なぜこんな分かり切った文章を書いているかと言うと、この前の授業で、「日本社会は○○で、日本人が◇◇がちだから、問題なんですよね」という発言があって、本当かな?と疑問を抱いたからです。さらにいうと僕自身、人のスペクトラムを無視するという考え方をして思考の射程距離を短くしていないかな、という自戒の意味も込めて書かせていただきました。

情報があふれている今、独創的なアイデアを書くのって難しいですよね。今回の文章も教師面というか、そんなの分かってるよ!って内容になってしまいました。すいませんでした。次回ぐらいからは、一人ディベートや自分の興味・専攻分野について書いてみたいと思っています。

ちなみに今日は、オンラインでの部活をしていました。コロナの流行の時からオンライン部活なのですが、Zoomみたいなオンラインでの会話って、一度に一人しか話せないから、やっぱり会話が弾みにくい…と感じました。何かいい方法はないのかなぁ。

では、また次の記事でお会いしましょう。ありがとうございました。



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