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コペルニクス的転回

前回の記事の通り、私はある瞬間まで非常に消極的かつ主体性もなく生きてきた。

ある瞬間とは、2011年3月11日14時46分のこと。

大学を卒業してすぐに勤めたバイト先が遠くに移転するとのことだったので、これまた消極的に辞めてしまった。その後、半年くらい家でダラダラして図書館での裏方の仕事に就いた。相変わらず、マインドは引きこもってはいたが同僚の人たちとなぜか気が合い、世間話をするくらいの仲になっていた。

その日もいつもと変わらず、和やかなムードの中、同僚とランチを食べ地下の書庫で午後の作業に取りかかっていた。立ち上がり本棚から本を取り出そうとした瞬間、地面が激しく揺れたのだった。

地下ということもあり、急いで本を置き同僚と一目散に階段を駆け上った。その途中で清掃の女性が悠々と仕事をしていたので「一緒に避難しましょう!」と消極的な私からは想像できない大声を出して知らない人に避難を促し、気付けば清掃の女性の手を引き地上階まで走っていた。

1階の玄関付近には多くの人たちが不安げな表情で集まってきていた。居合わせた人たちも地震が起きたこと以外、何の情報も持っていなかった。埒が明かなかったためガラケーのワンセグを起動した。すると東北地方を震源とする大地震が起こったことを知らせる緊急特番が放送されていた。勤務先がある地域は震度は5強だった。

その日の勤務はそこで終了となり、徒歩で帰宅の途についた。その道すがらATMで雀の涙ほどの貯金を引き出し、スーパーで5kgの米と水2Lなどの物資を調達しそれらを担いで帰宅した。

帰宅するといつもは気丈な母が家の階段で猫を抱き半ベソをかいていた。半狂乱で帰ってくる娘を想像していたに違いないが、当該の娘は意外にもタフな様子で米と水を担いで帰宅したため、泣きそうな母の顔が驚きの表情に変わった。そして、「アンタ、頼りになるじゃない」と一言。

その後、原発事故の発生も明らかになり死が明確に意識された。ちょっと待ってくれ!私まだ人生の中で何もしてないじゃん?!という焦燥感に苛まれた。それが、消極的で主体性のない私の人生が終わり新しい自分が目覚めた瞬間。

それから私は、積極的で主体的な意志を持った人間に生まれ変わった。しかし、その時の私は「この世に行動的なバカほど厄介なものはない」という言葉を知る由もなかった。

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