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#15 2024/07/12|テクノロジーの進化とともに、弔いはどのように変化していくのか(ゲスト:東京工業大学環境・社会理工学院 社会・人間科学系 高木良子さん)

2024年4月からスタートしている「渋谷でDeathラジオ」。放送の詳細やオンエアに載せきれなかったこぼれ話などをご紹介していきます。

〜生も死も、ウェルビーイングに〜
いつか誰にでも訪れる「死」。「今をどう生きるか」を考え、死にまつわる「従来のあたりまえ」や「選択肢」をアップデートしていく番組です。さまざまなゲストの「死生観」を聞くインタビューや、国内外で盛りあがりをみせる「Deathテック」分野の最新情報、リスナーのみなさんからの投稿をご紹介するコーナーなど、あなたらしい死生観や生と死のウェルビーイングを考えるための情報を、毎週金曜日にお届けします。

「渋谷でDeathラジオ」

#15 2024/07/12|テクノロジーの進化とともに、弔いはどのように変化していくのか(ゲスト:東京工業大学環境・社会理工学院 社会・人間科学系 高木良子さん)

◇今週のアーカイブはこちら

https://note.com/shiburadi/n/nf994395b8c72

 


■前半
・ゲスト
東京工業大学で「弔いとテクノロジー」をテーマに研究されている高木良子さん

高木良子さんの自己紹介

・コミックエッセイストから6年前に研究にも舵を切り、今は両方やっている。文化人類学的手法を使って研究。
・15年前の父の死、しばらくショックで消化できないものがずっと残る
・大学の死生学講座やホスピスのボランティアに行くも、自分が触りたいものと少し違う。→大学院に行ってやってみよう。

・研究の入り口は「グリーフケア」。「父を亡くした」この気持ちをどうしたらいいんだろうという中で出会った。この場では「私自身」が主人公。でも、研究をしていく中で、ベクトルが自分に向いていることに違和感を持つように。「亡くなった死者という存在」を知ることが自分にもつながっていくのではないかと考え、「弔いとテクノロジー」がテーマになっていった。

弔いとテクノロジー

・弔いとテクノロジーといっても幅広く人によってとらえているテクノロジーも違う。
・VRやARを使って死者を復活させるなど、デジタル系を思い浮かべる人は多い、その研究しているけれど、たとえば火葬炉の技術も弔いとテクノロジーに入る。
・「火葬先進国」日本の火葬炉の技術は、海外に誇るもの。日本の技術はベトナムなど海外にも輸出されている。
・伝統的に土葬の国も土地が足りなくなり、火葬を採用し始めている。「お骨をきれいに残すことができる」繊細さを持つ日本の技術は価値が高い。
・環境負荷の観点からも、火葬炉のテクノロジーも進化していて、以前ほど有害物質を生んだりはしていない。

「デスマスク」~亡くなった人の顔から型を取って作る

・日本で唯一のところに助手として入っている。
・死者を再現する技術の中ではローテクノロジー。
・死者とどうかかわっているのかをインタビューなどから研究
・デスマスクとは、なくなってすぐに型を取るので火葬の前の限られた時間でやる。意思決定急がないといけない。
・型を取って石膏でつくる
・リビングで写真と一緒に飾ったり、毎日触わったりしている
・「デスマスク」は身体の延長のようにとらえている。手に触れたい欲求多い。触れてその人を感じることは、遺影のようなものでは難しい。顔の質感とか、そういうものに触れたい。
・3Dスキャナー、プリンターでできなくはないけれど技術的・コスト的に難しい点もあるけれど、遺族は「その人の体から直接取ったものがその人らしい、本物らしい」と考える。

五感を使ったトリガー

・ご遺族が最初に触れたとき「この手触り・・!」と最初に言う。みんなが思っている以上に視覚だけでなく、触覚や嗅覚、聴覚から死者を感じている。
・AIなどで死者を再現する場合でも、五感を使ったトリガーが重要ではないかというのが研究の一つの視野


■曲のリクエスト
藤井風さん 「帰ろう」

選曲の理由:
この曲が出たのはちょうどコロナの頃。親しいけれど親族ではないという人が亡くなった時、葬式に出られなかった、自分も対面できないという経験をした。自分の中で、彼女が亡くなったのか、なくなっていないのか、わからなくなてしまった。いわゆる「あいまいな喪失」。
ミュージックビデオを見ている中で何も持って行かずに行こう、みたいな曲だけど、最後に「さあ、どう生きて行こう」歌詞で終わる。覚えているとかそういうことではなく、一部として自分の中にある、と感じた。彼女が自分の中にある、一緒に生きて行こう、という気持ちと重なった。

■後半

モノ化する死

・骨やお墓が「モノ化」して負担になってきている時代。自然葬、海洋散骨がトレンドになっている一方「手元供養」のようなものを求める人が増えてきている。
・物質的なものでなくそう、というのはイデオロギーだけでなく経済的な意味が大きい。火葬の後に骨をどうするかが負担になる。「次の世代の迷惑になっちゃう」から「モノをなくそう」。
・遺骨ダイヤモンドやデスマスクのように亡くなった人を何とか物質化して残そう、という動きもある。自分にとっての死者を。でも、次の世代にそれらはどうなるんだろう?自己都合だけでやってはいけない。
・いずれにしても二極化しているというのは面白い傾向。「なくそうというのもある意味モノに対するこだわりといえる。
・長いスパンで、自分と親と、自分と子どもよりもっと長いスパンだとこの決定・選択がどう見えてくるか?

死者・先祖とのつながりや意思決定

・祖先がどういう意図でこの家を引き継いできたのかという研究もある
・これは処分してしまっていいのか、この桜の木を切ってしまっていいのか
・お墓に限らず、死者の積み重ねで家はできている。死者という存在は見えないけれど、そういう存在がいることを前提に選択を考える必要があるのでは。

お知らせ

・高木さんより
雑誌「余白」
完成され切っていない、未完のものであるという魅力が詰まっている。
今年度は「東工大と民藝」というテーマで、実は「窯業科」からはじまった東工大と民藝の関係についての論考や座談会、エッセイがこの雑誌の中に収められています。

・デスフェスナイト@終活スナックめめんともり


番組へのお便り

こちらの記事をご参考にどうぞ。


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