生きているだけ。だけど、生きている。3



親愛なる学生諸君へ

この文章は経験でしかマウントをとるない大人が過去を懐古しつつ、君たちに注意や訓戒を垂れるどうしようもない文章だ。まるで便所の吸い殻だ。

学生諸君。

君たちの未来は明るい。何も問題ない。突き進めばいい。
それを「俺はこうだったから俺のようになるな」と言う大人の、訓戒に見せかけた甘い自己憐憫に付き合う必要はない。彼らは自分の過ちを他人に知ってほしい、かなしい生き物なのだ。どうしようもない連中だ。僕を含めてな。そして、世の中にはそんな人間がほとんどだ。壮大で滑稽だろ?僕はそんなこと考えてもみなかったよ。

よく大人が「学生のうちにやりたいことをやっておけ」というだろう?
僕もその言葉をよく聞いたし、まあその通りだなと思っているよ。

学生の時僕は「やりたいことをやれなくなる、大人ってなんて惨めで悲しい存在なんだろう」とあわれんでいた。

でも僕もそんなあわれな大人にってしまいましたので。

僕も精神時間的にはついこないだまで高校生だったのよ。
部活に行って、数学で補習くらって。友達と楽しく過ごして。

大学の勉強なんて適当にやってさ。
勉強会という体で遊び呆けたり。

クラスっていうのはいいぞ。
友達や知人が、働かないで毎日コミュニケーションとって同じ部屋にいる。大人になって分かったけどそれって素晴らしいことなんだ。会社も集団生活だけど、結果ありきの集団だからね。同じ空間に同じ方向を向いて、結果のために足を引っ張り合わない人が周りにいる。付き合いたいやつと付き合えばいいし、そこには個人の裁量がある。
自由だ。当時は自由だなんて思わなかったけどな。

こうやって学生時代を懐古する大人になっちゃだめだぞ。ロクなやつじゃない。

大人になる条件は、何かを諦められた時と目的を持って進むことができるようになった時だ。

僕は前者は余裕で満たせたんだけどね。後者は今でも無理だ。別に高尚な目的を持てって訳じゃない。ささやかな夢をもって少しずつ進めればいい。

大人っていうのは、本当はもっと自由で個々の裁量で何でもできる楽しい人生の時間なんだ。学生にはそうなってほしい。

僕から言えるのは、未来について考えを巡らせろということだ。僕は何も考えてこなかった。すべて場当たり的に対処して、未来について考えることをダサいことだと思っていた。

それを続けていると、自分から動けない人間になってしまう。もっと言えば、「動き方がわからない人間」になってしまう。これはきついぞ。必要なときに必要な行動ができない。自分の行動を自分で決められない。全て他人の意見と他人の意志でしか動けなくなる。「あの偉い人が言っているんだから正しいだろう」を鵜呑みにして生きることになる。

他人の意見を参考にするのは本当に大切何度が、百パーセント言いなりになるのはだめだ。もし、それがうまくいかなくて躓いた時、君は立て直せない。当たり前だ。それは君が考えたことじゃないんたから。リカバーの方法も考えてないだろう。自分で考えていないのだから。他人に委ねるとはそういうことだ。

他人を認めつつ、自分の意志で進め。

なんて、難しいんだ。できるやつなんているのか。

いないのかもしれない。生きるのは難しい。常に相反と矛盾の季節の連続だ。甘く凍える夜もあれば、鋭く暖かい朝もある。

難しいことしかない。
でもまずは、生きねば。そして願わくば楽しくな。

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