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アスカロン

 しなないで,とおもう.

 彼女が私にそう言うのはずっと後の話.それで,今から話すのはアルファとオーメガで言ったら,アルファの話.
 そのとき教室では先生がいらいらしていた.
 授業に興味の無いセスジが先生に指される.彼女は答えられない.興味が無いから.先生笑う.満足.他の生徒もセスジを嘲笑する.彼女はずっと浮いていたから.

 次のシークエンスは欠損教室.バリッ,と空間を丸ごと引き剥がすような音.それは赤い筋肉から皮膚を引き剥がす音に似てる.欠損したのは人の身体.セスジの前には巨大なまきぐそがある.こんな言い方をしたらおねえちゃんに叱られる.そのまきぐそはまず人の腸でできている.小腸と大腸の象徴.そしてその周りにはそれ以外の内臓がぐるっと何かの儀式のように囲んでいる.まるで南の島のお祭りみたい.  

 血がようやく床に染み出す.どばぁどばぁって赤くなる.昨日みんなでワックスがけしたフロアがワインレッドになっていく.  セスジは無表情にたっている.そして座る.冷静なのは自分がやったと自覚があるからだね.誰も言葉を発しない.先生もいない.彼女は今まきぐその上でぽかんと座っている.何が起きたかわからないようだ.彼女のベージュが生暖かい肉の感触を受け入れたとき,先生は生まれてはじめての叫び声をあげる. 「だいじょうぶ?」 と私はセスジに声をかける.あんなにいろんな人の嘲笑を浴びたのだから心配するよね.

「まあ」  

 セスジはディスコミュニケーションな返事をする.  
 そして彼女の左目は失明する.
 その声がきっかけとなり教室は男女の叫びが入り混じる阿鼻叫喚のカタストロフに陥った.   
 
 警察はすぐきた.そしてセスジを拘束.でも即解放.証拠不十分.生徒は彼女がみんな犯人って言う.でもそれだけじゃ無理ってもんだ.  
 学校に大勢の人.沈没船事故よりひどいひとだかり.ニュースニュースニュース.連日報道.  
 私はメンタルケアを受ける.でもめちゃくちゃ精神安定してる.びっくりだね.  

 セスジに超能力があるのは分かってる.このご時勢そういうこともある.ちなみに私にも超能力を感知するっていうあまりおもしろくない超能力がある.  
 それが分かったのはおねえちゃんのおかげ.おねえちゃんはすごい科学者.そしてセスジの能力を恐れているみたい.それを告発しようとするんだけどセスジに味方する勢力が妨害する.そんなこんなで私とおねえちゃんは命を狙われる.なんで私まで.  
 車でカーチェイス.何から逃げているかというと死神.ほんものの死神.セスジが力を使ったんだね.セスジの使う力はとてもシンプルで,自分の思ったことを実現すること.わかりやすいね.そう私の能力がささやいている.  

 そのころセスジは黒服の男たちとモニターを眺めている.何にも興味がない顔で.

「この女を殺せ」という命令を受けていた.
 この男たちはセスジを幼いころから隔離していた.彼女を薬漬けにして操っていると信じていた.でもセスジにはそんなのあんまり意味が無かったんだ.すぐ直せるし.願いに対しての対価を支払うのはただめんどくさかっただけなんだ.彼女は.  

 セスジは怠惰に死神を召還した.そして彼女の左手の爪が全て無くなる.血が滴る.  
 青白い死神は私たちを追う.私は帽子を目深にかぶっている.顔が割れないように.おねえちゃんのドライビングテクニックが冴える.なんどもセンターライン超えてたけど.  
 車がひっくり代える.死神に鎌が直撃したんだ.私は車外に放り出される.全身を強く打つ.痛い.動けない.  
 おねえちゃんが車から這い出てくる.死神がお姉ちゃんを殺す.おねえちゃんは絶望の表情を浮かべ,何かを言おうとして死体になった.八つ裂きにされてしまった.  

 私は恐怖する.その映像がモニターに映し出される.黒服たちは言った.「こいつも殺せ」セスジのやる気の無い目が対象に向けられる.それは私.  

 セスジの瞳が一瞬かっと見開かれた.次の瞬間死神は消える.宙に霧のように霧散する.  
 男たちは激怒した.セスジを乱暴に詰問する.暴力を振るい,言うことを聞かせようとする.でもセスジのおなかの中には赤ちゃんがいた.私の子供をはらみたいという願望が,彼女の力によってかなえられたのだ.  

 だから殺す.  

 消えたはずの死神が現れ黒服たちをなで斬りにする.それは一瞬の出来事.血も出ない.そしてセスジは組織を脱出する.私に会うために.  
 私は身体がぼろぼろだった.左足が動かない.なぜかというと骨が全部折れていた.血はあんまでてないけどこれは人体に非常に影響があるな,と思う.  
 セスジがワープしていきた.そして対価が支払われる.彼女は視力を失った.
「私の名前はセスジっていうの」
 とセスジは言う.
「しってるよ」  
 私は笑顔で答える.車が爆発する.  
 セスジが私を守るために障壁を作る.爆風は一切及ばない.そしてセスジは髪の毛を失う.
しなないで、とおもう.
「また生えてくるからヘーキだよ」  
 ないてしまった私をセスジは慰める.  
 そっか,と私.  

 私たちは騒然となった街中を歩く.私はセスジに寄りかかり,目の見えない彼女の変わりに世の中を見てあげる.
「能力を使えばどこでも飛んでいけるからね」
「でもどこか欠損しちゃうんでしょう」
「爪とかならまた生えるからヘーキだよ」
「じゃあそこに絆創膏を貼るね」
「うん」  
 セスジのおなかが少し膨らんでいた.きっと私たちの子供がいるんだろう.そう思うと幸せだ.
「歩こうか」
「そうだね」
 私たちは歩くんだ.
 二キロ先から大口径スナイパーライフルから発射された弾丸が私たちを貫く.身体がドーナツになり内臓が焼ききれる.私たちは少しばかりの上半身と頭を残して砕け散る.  
 私たちは石ころみたいに空中に投げ出される.でも笑うんだ.おかしくて.セスジの笑顔ってすごくかわいいんだ.  
 セスジが能力を使って私たちは元通りになる.対価は前払いだからヘーキ.ばらばらになったときに払っておいたから.
「次弾装填まで時間があるね」と私.
「どこいきたい」と逃亡先を私に聞くセスジ.
「木星」
「それ,すごくいいね」  
 私たちのいなくなった空間を巨大な質量が通過していく.死体のおねえちゃんがさらにばらばらになった.

 木星にきた私たち.一瞬で血液が蒸発し身体が解ける.そしてセスジが死ぬ前にもろもろの死なないおまじないをかける.元通り.人間の身体は壊れやすいね.死ぬまでにコーヒーだって飲めやしない.
 それで,私たちは晴れて木星人になりました.
 まず家を作ろうとした.でも木がないし,そもそも固形が無い.どうしよっかと考えて,ちょっと木星の形を作り変えることにした.まあ草とかはやして動物とか生まれるようにして,植物もね.セスジは能力使いすぎて頭だけになっていたが,間髪いれずに元通りのおまじないで元通り.肌もぴちぴちできれいになってる.
 一日という感覚がなくなったころにセスジは子供を生んだ.私は出産の現場に立ち会ったことがなかったのでおろおろしていたが,すぐに出産は終わった.震える手で生まれた子を抱きかかえる.なんて醜くてかわいいんだろう.私たちは顔を見合わせた.にっこりと微笑む.
子供は体内でセスジの影響を受けていた.生まれてすぐに木星に適応したのだ.これには私たちも喜んだ.
 名前をどうしようか,とセスジが聞いてきた.私はシュイロと言った.シュイロという名前を付けた.たまたま落ちてきた流星群が硫酸の空を朱色に濡らしていたからだ.
 こんなかんじで,木星暮らしも悪くないよ,おねえちゃん.
 木星にはなんでもないし,なんでもある.コンビニもコーラも無いが,秒速200キロの風とユピテルの起こした竜巻と,ゼウスの雷,硫酸と硝酸が入り混じった海がある.とにかく広大だ.ここにいたら物と物の距離が狂い続けるだろうな.
 シュイロは順調に育った.シュイロは男の子でとても好奇心旺盛で泣き虫だった.そういうとき私は歌を歌ってあげる.「お父さんがよくうたっていたんだよ」
 セスジはちょっと悲しそうな顔をする.「私両親いないから」わかんないの感情が,と.わかないの感情が,と
 私はそっと抱きしめる.窒素の風が私たちの髪をなでる.私はセスジの涙をぬぐう.
「せすじー」
二人ともびっくりして顔を上げるとシュイロがセスジの名前を呼んだ,「せすじー,な」シュイロは笑う.
「うれしい」
 セスジは今度こそほんとの涙を流す.それをアンモニアの大気がすぐに吸収する.名も知らない鉱物をはらんだ大地はまだ涙の味を知らない.

 シュイロの成長はとてもはやかった.すぐに六歳ぐらいになり,私たちを驚かせた.でも「それは歓迎すべきこと」「そうだね」
 木星の動物たちはとてもタフだ.硫酸の海には魚がすんでいる.なんだかキメラみたいな形をしているけど,味は結構淡白でおいしい.骨がちょっと多いかな.
 私たちは木星牛が木星芝を食んでいるかたわらでピクニックをしていた.ここは太陽がちかくてぎらぎらしている.でもすぐに地球三個分くらいの雲がそれを覆い隠してしまうし,同じくらいの規模の竜巻が台無しにしてしまうから,あまり景色は楽しめない.でもここの苛烈な気候変動と広大さはとてもすきなんだ.たまに訪れる,一瞬の太陽の輝きは神話の始まりみたいで美しい.王水とエーテルがうずまく嵐の中からゴリアテのように姿を現す太陽は,やはり人間が愛してやまない理由と畏敬の念を備えている.ゴッホがいたらあまりの美しさに両耳を切り落とすだろう.そしたら弟が二人必要だね.
「そうだね」とセスジが笑う.最近彼女のツボが分かってきてうれしい.
 
 シュイロが地球を見たいと言い出した.困った.私たちは困難に直面する.もちろん私たちはあまり地球に行きたくない.今どうなっているのかも知りたくない.でもシュイロは行きたいという.愛する息子のためなんだ.仕方ない.行こうか.
 地球に行くにあたって私たちは光になった.そしてすぐに地球に移動した.セスジは両耳を失う.
 時間の概念がセスジとシュイロの笑顔だけになった私にとって,あれから何年経ったのかは分からないが,久しぶりの地球は前とそんなに変わっていないように見えた.なんか乗り物とかが発達してる.かなりの距離を一瞬で移動できるようだ.軌道エレベータもできたみたいだ.昔見た東京スカイツリーがあった場所にそれがあった.空飛ぶ車はまだ無いみたい.
 でも光となった私たちにとって地球は展示会の絵画と同じだ.何せ高速で動いているのだから,全てが止まっている.私たちから見た地球は静止している.
「お絵かきしよう」
 とセスジが言う.
「いいね」
と私.
「おえかきかく」
 とシュイロ.
 私たちは地球のあらゆる場所に落書きをした.私たちのプロフィール,今どこにいるか,何をしているか,シュイロが生まれたこと,木星での暮らしぶり,今が楽しいこと.一番痛快だったのは自由の女神の目玉に筆入れしてやったことだ.
 私たちは一通り地球観光を楽しんだあと帰宅した.セスジはまた失明していた.

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