見出し画像

子は親の鏡 - 虐待の連鎖を止める

『子は親の鏡』
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない

誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

© ドロシー・ロー・ノルト レイチャル・ハリス 石井 千春


私は毎日この詩が見えるように机の前に貼ってある。
私の両親と同じ間違いを繰り返さないために。

私は両親の鏡?

コントロール出来ない自分の人生

私は、16歳から息子を妊娠するまでの24年間ずっと過食嘔吐という自傷行為に苦しんだ。

もはや食べ物の量を自分の意思でコントロールが出来ず、頭がおかしくなっているのだと恐怖だった。それでも毎日大量に食べては指を突っ込んで胃が空になるまで吐く。食道に食べ物がつっかえ息が出来なかったこともある。喉から血を吐き、カリウム不足で手が震え、白目は血管が切れて真っ黒。歯は胃酸で虫歯だらけになり、常に身体が寒く、胃も荒れて肌はガサガサ。

なぜこんなにも自分の人生をコントロールすることが難しいのか。
常にジェットコースターのように浮き沈みが激しく、自分の理想とはかけ離れたものだった。酒、ドラック、セックス、過食嘔吐。依存から抜け出せない。人間関係はうまくいき始めると必ず自ら破壊する。ひとつの場所で落ちつくことができずに転職、引っ越しを繰り返す。

自分が嫌い。
もう、どうでもいい。
なんで私ばかり。
私の人生は常にネガティブなオーラで包まれていた。

こんなにも自分が嫌いな原因。
それは幼少期から両親に精神的・身体的暴力を振るわれて、私の人生をコントロールされてきたから。私の両親は共感性のない自分が一番かわいいナルシストだ。両親の一方的な愛情は私が望んでいたものとは全く違ったのだ。


10歳で死を考える日々

幼少期の頃の父の記憶は、優しいが短気で、店員に横暴な態度をとるなど、人を見下して小さな優越感を得ているような人間で、父を尊敬したことは一度もない。

家庭内暴力もひどく、物心つくころに朝起きたら母親の右目が真っ黒になっており、恐怖で身体が凍ったのを今でも覚えている。荷物が上から落ちてきたと嘘をついた母からは不安な気持ちと嘘をつかれた猜疑心しかうまれなかった。
子どもを傷つけないように嘘をつくなんて言い訳は偽善だ。家庭内暴力は必ず弱い者へと連鎖していく。母親は父親の暴力から子どもを守らなくてはならない。

母は自分のプライドの為には、子どもに嘘をつかせることも平気だった。
義母に昨晩の夫婦喧嘩を4歳の私から聞いたとからかわれた母は、私に怒りをぶつけ「喧嘩していなかったと告げるまで家に帰ってくるな」と祖母の家に放りだされた。嘘を無理矢理つかされて、悔しくて大泣きしながら「昨晩は喧嘩していなかった」と言いに戻ってきた私を見て、祖母は言葉を失った。

母の望んだ「娘の将来」は、彼女の優越感を満たす為にあった。私は6歳から毎朝地下鉄にのって学校に通い、放課後に友達と遊ぶことは許されなかった。習い事はすべて母の意見で決められ、母の思い通りの結果が出せないと脳震盪を起こすまで殴られた。

「死にたい」と脳裏を過ったのは小学校3年生の時だった。
子どもの頃の楽しい記憶はひとつもない。


29歳の時に海外に単身移住

人生に疲れ切ってた。
両親の世話で、自分の人生どころではないことに気づく。
私の老後はどうなるんだ?と平気で言う母から逃げたかった。
嘘をついてお金を巻き上げてくる父から逃げたかった。

私は自分の人生を生きたかった。
ワーキングホリデービザが使える30歳手前でカナダに渡った。

英語を聞き取れるようになるまでに3年。スピーキングはその後。英語が話せないことで人から軽くあしらわれ、悔し泣きした事は数えきれない。今まで簡単に出来ていたことも出来ない苛立ち。
自分が小さく感じた。ひとりで寂しかったし、不安だった。

でも、それも日本(親の近く)に戻ることを考えたら我慢できた。私には帰りたいと思う「暖かい家」がどこにもなかったことに気づいてひとりで泣いた。


海外でひとり未婚の母に

息子の母親になれたことは、私の人生で一番ラッキーだと思う。
息子はミラクルが重なって私の元に助けにきてくれた天使だと信じている。

息子の父親、現在の私の事実婚パートナーとは出会って3か月で無計画で「できてしまった。」お互いに好意は抱いていたが、突然妊娠してしまったことにお互いにパニックになり、小さな言い合いから「中絶するべきだ」という彼に私は連絡を絶った。

ひとりで海外でシングルマザーとして子どもを育てられるのか想像も出来ず、もちろん両親にも相談できずにひとり悩んだ。収入はあったが不安だった。

つわりとストレスで自然流産を願うほど追い詰められたいた私だが、初めてのエコーで元気に手足をバタバタ動かしている息子を見た時、あんなに不安で怖かった気持ちが吹っ飛んだ。私が守らなきゃと誓ったのを覚えている。
あの瞬間は一生忘れない。


両親と同じことをしていた私

子どもには父親がいたほうがいいと周りに諭され、パートナーも一緒に育てたいと言ってくれたので、息子が産まれる2か月前から一緒に住み始めた。

しかし、妊娠・産後のホルモンバランスの崩れ、事実婚パートナーの裏切り行為と色々重なり、息子が産まれてから3年間は喧嘩が絶えなかった。彼の前妻との連れ子も癇に障ってしょうがなく大嫌いだった。

子どもがいなかったら確実に別れているとお互いに罵りあう日々。
怒りを我慢できず子どもの前で怒鳴りあい、扉を乱暴に閉めて家を飛び出す。こんな光景を見てきた子ども達はとても「暖かい家庭」だと思えなかったに違いない。

2歳になった息子はイヤイヤ期に突入し自己主張が激しくなり始める。私は常にパートナーと喧嘩して気持ちに余裕がなく、言う事を聞かない息子を叱りつけては無理矢理言う事を聞かせようとする日々。
息子の癇癪はどんどん酷くなるばかりで、息子も感情的に怒ってばかりいる私の存在を鬱陶しく思い始めていたと思う。息子は私を拒絶することも時々あった。

せっかく「自分の家族」を築き始めていたのに、全く幸せを感じない。息子には「暖かい家庭」を与えてあげたいと誓ったはずなのに、気づけば両親と同じ「愛情のない環境」を作ってる自分に自己嫌悪する繰り返しだった。


両親とは違う自分に

気分循環性障害を克服する

精神科医・心療内科医の廣瀬久益先生のYouTubeで鬱に関する動画を見ていた際に、この「気分循環性障害」を説明している動画を見つけ衝撃を受けた。

私のように機能不全家族で育ったアダルトチルドレンは「気分循環性障害」を引き起こす確率が高いらしい。

自分の育った環境と症状が当てはまり、感情のコントロールが苦手で自己破壊衝動がある、今まで自分が疑問だった「なぜ私はこんな行動をしてしまうのか?」という疑問と不安が一気に解消され、目の前が明るくなった。

自分でコントロールできる人生を手に入れたい。
息子の為にも「暖かい普通の家庭」を作りたい。

薬物療法を取り入れながら、自分で認知行動療法を学び気分循環性障害障害を克服しようと誓った。


息子の変化

薬を飲み始めて1か弱。確実に私の怒りの感情が和らいでいるのが分かった。自分でも物事のとらえ方を違った目線でみるよう努力し、今までカッと怒っていた場面でも笑っていられるほど変化があった。

私は今まで母と同じように、コントロールできなかった息子をチクチクと苛めていたことにようやく気づいた。息子が全く悪い子だったのでない、私が悪い母だったのだ。

私はまず一番に息子に謝罪した。
「悪いマミーでゴメンね。怒りすぎてゴメンね。」と。

すると、2ヵ月も経たないうちに、息子は変わった。

まだ怒りの感情をコントロールできないものの、今までのような自ら頭を壁や床にぶつける癇癪は起こさなくなり、怒る時間も短くなっている。怒った後には素直に私に助けや抱っこを求めてくれるようになった。

以前は私の表情を敏感に読み取り、怒られたり責められたりすると思うと防御線を張ってより反抗していた息子を可愛くないと思ってしまっていた。

今は怒っている姿も心のそこから愛おしいと思える。

子は親の鏡

恥ずかしながら、息子の姿を見て自分の間違いに気づく現状。
しかし私の息子は、この未熟な母は自分を変える努力をしていると理解し、許してくれると信じている。

ナルシストの両親は自分の鏡である私の人格や行動を否定し、バカにし、都合のいいように私を変えようとした。
自分自信は一切変わろうともせずに・・・。

私は両親と同じ過ちは絶対に犯さない。

息子には自分を誇りに思える人間に成長してもらいたいと願う。そのためにも今度こそ私は「自分を誇りに思える人間」になるよう努力したい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?