見出し画像

宛先のある文章

学生時代、国語の作文がずっと苦手だった。

何かを書こうにもテーマが思い浮かばないし、仮に何かテーマを与えられていたとしても、いったいそのことについて何を書けばいいのかよくわからず、「○○が楽しかった」とか「○○に行って、○○をした」といった無意味な言葉をつらつらと書いて原稿用紙の空白を何とか埋めるのだった。
 
それがいまになって書くことにあまり抵抗感を覚えなくなった。自分は何かを書くことが出来る、という小さな自信すら腹の奥の方で感じている。
 
なぜこうして文章を書くことが出来るようになったのかと考えると、一つには自分の感情に目を向けて、言葉にすることが出来るようになったからだ。国語の時間ではいつも「どう書くのが正しいのだろうか?」とばかり考えていた気がする。でもいまは「自分がどのように感じているのか」また「それを表現するには、どのような言葉にすれば良いか?」という視点で文章を書いている。おかげで何を書けばよいか分からない、という悩みはだいぶ減った。

そう、答えは足元にある。
 
そして、もう一つ、私が文章を書くことが出来るようになったのは、特定の読み手を想定して書くようになったからかもしれない。最近は何を書こうとするときには、その文章を書くきっかけとなる感情や出来事に関係ある特定の人を頭に思い浮かべて書くことが多い。

もちろん自分の考えの整理のために書いていることが多いので一義的には自分自身に向けて書いていると言えるのだけど、ある事柄について考えるきっかけを与えてくれるのは、たいてい誰かとの会話だったり、誰かが書いた文章だったりする。特定の人に文章を読んでもらうという心構えで書くと、その人に対して伝えたいことや知ってもらいたいことが頭に浮かんでくる。そうすると自然と文章が綴れるものだ。
 
過去に何度かブログをやろうとして毎度続かなかったけれど、ブログにはなんとなくマス(Mass)に訴えかけたくなる引力が働いているように思う。「インターネット上の多くの人に読まれないといけない」というプレッシャーを自分で勝手に感じてしまい、だんだんと書くことが億劫になってしまったのではないかと今に振り返って思う。その点noteは個人的な語りに耳を傾けてくれる方が多く、そんな皆さんのおかげで日々楽しく文章を書くことが出来ている。
 
これからもなるべく宛先のある文章を書いていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?