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読書感想文「僕の狂ったフェミ彼女」(ミン・ジヒョン著)


最初に

これは、あくまでも「感想」であり、自身の主義主張の表明という意図ではありません。
読んだ時の自身の中で形成された感情を拙いながらも可視化しておこう、と思ったので。
どうぞその点をお含みおき頂けましたら、幸いです。

「武器の差」

お互い手にした武器が違うだけだ。
最後までスンジュンは「分からない」。彼は本当に最後まで、自分はこんなに素敵な彼氏、彼女のことを愛していて優先していて、それなりにハンサムで賢い、なのに何故、彼女は何も変わらない、否、「戻ってくれない」のかと嘆く。
でも、彼女も「分からない」。好きな人と結婚して、子供を産み、育てる。夫婦の他愛無い会話、子供の成長、性犯罪のニュースや明らかにミソジニー的なニュースを見て「怖いね」と夫と顔を見合わせ、時に怒ったりしつつも「何もしない」、その一般的な幸せ(と思われる形)を選ぶことを拒む。とても頑なに。
その差は何から生じたのか、と考えてみた時。私の感想が冒頭だ。
お互い、手にした武器が異なった、それだけ。
スンジュンは社会への適応を武器にした。彼女はフェミニズムを武器にした。
どっちが良い悪いではなく、言ってしまえばポケモンシリーズで最初のポケモンを3匹から選ぶみたいに、相棒を選ぶみたいに、武器を選んだ。選択肢のひとつして、そこにあったのだから。
でも、この武器の違いはポケモンどれを選ぶか、とは訳が違う。
人生の大きな選択肢。
彼女は自分が変わるために、世の中が変わる(変えるんじゃなく変わる、という印象を受けた)ために、フェミニズムという銃を手にしたんだ。自分がどう在りたいか、彼女自身が考えたその結果なんだ。

この本を読んでいると、ふと、「多様性を受け入れる」という言葉の胡散臭さを改めて実感した。
受け入れる、共存する。
その言葉のなんて上からなこと!私は正直に言えば、SDGsとかそう言う言葉がとても嫌いだ。
結局、マジョリティのマジョリティによるマジョリティのための理屈に他ならない。
あのご立派なブローチを着けているスーツの人達は結局のところ、同じ土俵での対話はする気がないんだな、と思う。
ただ「在る」こと。認めてもらうとかそんなんじゃなく。
当たり前でいられること、それが普通であること、そうあるためにこんなにも大仰な主張が必要なの?と。
こうやって取り留めもなく、でも、久し振りに世の中の構造に対して怒りを感じで、私は「何だっけ」と自問自答した。
そういうちょっとした熱を放射する時間、粗くとも自分と向き合う時間をくれる本だった。
彼女の在り方もスンジュンの在り方も否定なんて絶対にされるべきでなく、でも、個人的にはやっぱり彼女の側に立って読んでしまうので、再読する時はもっとフラットに読みたいとも思うけれども一方では今のこの読了時の感情を忘れずにいたいし、思い出したい。

ちなみにシンプルに読み物として読み易い書籍だった。
文章はストレートで難解さは無く、テンポ良く読める。
日本での、ここ数年の韓国文学の流行はきっと素晴らしい訳者の皆様のおかげだなとしみじみ感じた。
きちんとストーリーを牽引し、それでいて下品にならない作品が多く本当に読み易い。
韓国に一度も行ったことがない私のような人間にも分かるように、地名等にはルビが振ってあって、韓国特有の文化風習風俗についてはしっかりと脚注も付いている。あまりつっかえずに頭から最後まで読み切れた。私は買ってから1週間経つか経たないかで読めたけれども、早い人なら1日か2日で読めてしまいそう。

ありがとう

この本は、以前熱心に推していたアイドルがきっかけで知り合った方に教えて頂いた本だ。
もう既に私はその界隈からは相当距離を置いてしまっているけれども、
こうして文字、言葉、物語を通じてその界隈で知り合った人と今も接点を持てること、
繋がっていられること、とても嬉しい。色んなフィルターを通して、その人のことを知れることが嬉しい。
まあ、物理的に「本の話しながらドトールかどっかでコーヒー飲まん?」みたいな気軽なことは出来ないけれど。いつかまた、お目にかかって話したい。

改めて、この本を読むことが出来て良かった。

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