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【木工】さあ、職人の逆鱗に触れてみよう

(4785文字)
 私の記憶の中の「職人」という人たちは、ほぼ全員怖い人たちだった。
 最も古い記憶はアイロン職人で、なぜアイロンなのかと言えば、幼少のころ家はクリーニング店だったからだ。幼稚園から帰ってきて暇を持て余していると、クリーニング店の作業場をのぞきに行く。そこは修羅場のようで、特に夏の暑い日などは、職人がワイシャツの山を汗だくで片っ端から鬼人のような速度でアイロンがけをしていた。
 汗が垂れないよう鉢巻をして、上半身裸で、何かに憑りつかれたように一心不乱に作業する姿が脳裏に焼き付いている。その近寄りがたいオーラは子どもながらに感じており、部外者の闖入を拒絶する見えない壁が確かにあった。だが、子どもは子どもだ。
 あるとき、家で友達とふざけて折り紙の取り合いになり、私は走って折り紙の束を握ったまま、あろうことか鬼人の作業場に闖入してしまった。今となっては鬼が何と怒鳴ったのかは覚えていないのだが、とにかく大声で怒鳴られ、持っていた折り紙の束をぐいと取り上げられたかと思うと10mmほどの厚みのあるそれを、いかつい手でいとも簡単にビリビリと破断し、ぞうきんのように固く絞られた上ポイと投げ返された。作業中の職人はアンタッチャブルであることをこの時学んだ。
 その後クリーニング店は廃業し、別の事業を行うことになったので店を改装することになった。大工や設備屋が入れ替わり立ち代わり入って仕事をする様は本当に面白く、おそらくこの時の体験が今の私の職業につながっているような気がする。
 職人たちはやはり怖い存在だった。
 それでも彼らの仕事ぶりを見たいという欲求には抗えず、学校から帰ると「邪魔だからあっちにいってろ」と怒鳴られながらも陰でコソコソ見ているうちに、そのうち向こうが根負けしたのか色々と話しをしてくれるようになった。
 ちなみに私はこの時、大工になりたいとは思わなかった。水道やガスの管設備工事が面白く、彼らのトラックの荷台には管に雄ねじを切る赤い機械が積まれており、そこから立ち昇る切削油と鉄くずが織りなす退廃的な香りがたまらなく素敵だった。そして彼等の腰には、パイプレンチという管を締め込む工具2丁が常に装備されており、その姿に憧れた私のその年のクリスマスには、パイプレンチ1丁と革製のツールホルスターがサンタクロースから贈られてきたのであった。


クリスマスプレゼントはパイプレンチだった。すげえ嬉しかった。

 私の世代、つまり団塊ジュニア世代は、もしかしたらこうした職人像を比較的間近で見ていた最後の世代なのかもしれない。あの頃の職人というのは、常にヤンキーばりに機嫌が悪く、神がかったスピードで仕事をこなし、もれなく排他的な頑固者であった。
 だが、今やマイルドヤンキーと呼ぶにも憚られる温和な職人ばかりになった。
 これには色々な要因が考えられるのだが、一つには比較的単調な作業をひたすらこなす仕事が減ってきたという背景があると思う。単調な作業は概して単価が安い。だが高度経済成長期であったその時代は、やってもやってもやり切れないほど仕事があり、結果としてそこそこの稼ぎになっていたのだと思う。そうした中で、数をこなすためにはまず第一に手が速くなければお話にならない。当然世間話なんてしている暇はないし、確実性のない特注品など以ての外なのだ。また、今でこそ職業がある程度自由に選べる時代になり、私も自分の意志でこの道に入ったのだが、当時の職人たちは決してなりたくてなっていたわけではなく、やむに止まれず食ってゆくために、稼ぐためにその道に入った人は多い。
 一般的な木工の仕事の関して言えば、その時代から現在に至るまで、当然のように機械化が進み、需要の減少に伴う分業制度の崩壊、少量多品種への対応、とどめは原材料の枯渇といった試練が覆いかぶさってきた。
 ただ、そうは言っても、根本的に単純作業がなくなったわけではなく、依然としてそういった作業が占める割合は高いと思ってもらって差し支えない。同じ作業を生涯にわたって行うのか、一か月で済むのかの違いはあるし、単能工からセル生産による多能工化といった変化があり、現場の様子は大きく変わった。だがもしも職人というのは、じっくり時間をかけて楽しみながら仕事をする的なイメージを持っておられる人がいるならば、それはとんでもない誤解である。そういう仕事がこの世の中にないわけではないのだが、普通は常に時間に追われ、それこそストップウオッチを見ながら一日のノルマを課せられ求められた品質のモノに仕上げる。品質が悪いのは当然ダメとして、良すぎるのもダメだ。今でもそれが普通の職人の姿である。
 そうして長年単純な作業を繰り返すうちに、道具や素材の本質が分かってくると、そこから外れた使い方や加工に違和感をもつようになる。これが職人を頑固にする所以であり、必然でもあるのだ。木材の特性なんてものは有史以来殆ど変わっていないと思うので、それは正しい姿である場合が多い。材料が大昔から変わらないのだから、変えようがないとも言える。別にイノベーションを否定しているわけではない。
 つまり、木とか刃物とかの理解というものは、私は少なくともそうした職人、長年同じ作業を続けてきた人間が一番よく解っている世界であり、本物の技術技能はそうした経験から生まれるものが多いと信じてやまないのだ。
 そんなことを考えていると、こんなことを言う人がいる。

「技術はやってりゃそのうちついてくる。どうやって売るのかを考えろ」

 まあ言いたいことはよくわかる。木工をやろうとする人間は大体アーティスト系か私のような技術系に二分されるのだが、こんなことも言われたことがある。

「木工屋になるな、木工家になれ」

 木工で独立したとして、食ってゆくためには仕事がなければ始まらない。  ここは生きるか死ぬかの問題なので、優先順位としてどうやって売るのかを考えるのは当たり前のことだ。自分が未熟なうちは未熟な製品を世に出すこともあるだろう。それは仕方のないことだし、世の中すべて完成されたもので満たされるわけではない。

 だが、余計なのだ。その「やってりゃそのうちついてくる」という文言が。

 申し訳ないのだが、そういうことを平気で言うひとの技術を、私は絶対に信用しない。恐らく木工技術というものが、ほっときゃそのうち身に付くくらいの安易なものだという認識が根底にあるからだ。ホントにそうなのか?
およそ、どんな仕事であろうと、突き詰めて追及してゆけば深遠な世界があるものだ。百凡の奥底にあるその深遠な世界観を感じ取ることが出来なければ、私に言わせれば「もったいないなあ」と言う他ないのである。
 例えば、30mm角の木材をひたすら9cmとか12cmとかにチョンチョン切るだけの仕事があるとする。それがそのままエンドユーザ―に届くので、当然切断面に美麗さが求められる。私が以前やった実績だとがんばってやって1日8時間で2500個くらいが限界だった。2500個というと意外と多いじゃないかと思われるかもしれないが、一個あたりに直すと12秒もかかっている計算になる。実際に材が刃物に当たっている時間なんてせいぜい1,2秒なのだから、残りの10秒はお前一体何をやっているのだという話になる。別に遊んでいるわけではない。ムダな動作に10秒費やしている可能性があるという話だ。
 また、どれだけ美しく切断できるのかという課題は永遠だ。
 以前、聴覚に障害のある新人にこの作業をやってもらったことがあった。
 はじめての作業に、彼は途中で違和感を訴えてきた。切った時の感触がおかしい、と。
 見てみると、それはタモ材からクリ材に材種が変わったタイミングであることが分った。素人目には一見判別しづらい材種である。だが彼は3馬力のモーターで回転する丸鋸の、切断する感触だけでもって、ものの見事に異なる材種を判別してみせた。そしてその感覚は、どうしたらより美麗に切断できるのか、どういった刃物が優れているのか、より早く切断するにはどうしたらよいのかという課題に、必要不可欠なものなのだ。
 これは木工に限らず、例えば鉄の世界でも、小関智弘さんの著書「職人学」に登場する金属商の2代目社長は「金属をすべて舌で味わっております」ということで、多くの種類の金属を味覚で識別できる能力を身につけていたということである。今風に言えば完全にヘンタイ(最上級の褒め言葉です)のなせる業であって、テイスティングというものが何もソムリエの専売特許ではないという好例だと思っている。
 こうした本当に地味なのだけど、日々根気よくそうした仕事に向かっている職人に私は最大限の敬意を払う。そして誇りを持ってほしい。彼等がいなければ私たちの生活は成り立たないし、やってりゃそのうちついてくるなんて不遜な考えでは到達しえない深淵な世界が確実にあるのだと伝えたい。

 最後にある職人の話をひとつ。
 糸鋸盤という機械がある。ミシンノコ、スクロールソーとも言う。
 小学校の図工の時間に、好きな図柄を木の板に描いて、思い通りに切り抜くことができるあの機械を使ったことがある人は多いだろう。
「ああ、あの小学生がやるやつね」
 その糸鋸の、専門職がいることを御存知だろうか。
 彼等の商売道具は糸鋸盤である。知らないひとがその作品を見たら、きっと驚くと思う。
 まず糸鋸は一発勝負の世界である。書道と同じく、やりなおしのできない世界だ。
 糸鋸界で恐らく最も著名な小黒三郎さんの作品を見ると、一枚の板からたくさんの生き物をジグソーパズルのように切り出している。つまり、一度でも切り損じたら全部パーになるので、書道と同じく真剣勝負なのだ。もっともそれは素人考えで、恐らく彼等の仕事に切り損じなどという失敗はまずあり得ず、切り抜いたラインの精度はどうなのかという話に始終するのではないかと思う。切断面はツルッとしていて美しい。後からサンドペーパ―で磨いて胡麻化そうなどという姑息さなどこれっぽっちも感じられない潔さ。そして、これがあの図工室においてあった糸鋸盤のなせる業なのかという卓越した技能。彼等はその仕事を続けるかぎり、日々糸鋸盤に向かっている。それはまさしく才能であると思う。

 私がある仕事を依頼しようと、県をまたいで初対面の糸鋸職人のところに訪れたのは春先で、桜が満開の峠道を登りきったところにその工房はあった。
 工房は小奇麗に整えられており、あるものは基本的な木工機械と糸鋸盤と木材だ。
 一見職人風ではなく、インテリ風(死語か?)な雰囲気の彼は、技能を習得するまでの苦労を語ってくれた。中でも、凄く良く切れる糸鋸刃があって、どうしてもそれを使いこなしたいのだが、切れが良い分脆く折れやすい。そしてその扱い方を会得するまで折った本数は数知れず、稼ぎが折れた刃物代で飛んで行ってしまっていたという逸話を聞かせてくれた。
 結局、何度か彼とはやりとりをしたものの、ビジネス的に折り合いがつかずそれっきりになってしまった。彼の持っている品質が、こちらの求める品質よりも高すぎたのだ。
 職人というのは面白いもので、特に外注目的で仕事の依頼をする場合、そこまで丁寧でなくてよいから単価を下げてくれとか、逆にもっと払うからレベルを上げてくれという交渉はまず確実に決裂する。それは彼等自身の美意識によるものもあるかもしれないが、それ以前に長年かけて培った手の動きを都合よく修正することが困難であるからだ。
 別れ際、彼は糸鋸で切りぬいた馬のモチーフを私に手渡してくれた。

 「名刺代わりに持っていってください」

 本当にかっこいいなあと思った。苦労しながら醸成させた美学を感じた瞬間であった。

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