見出し画像

イスラエルが目指してきたもの

『イスラエルでテロが起きた。キブツがハマスに襲われたらしい。』こんなニュースが飛び込んできたのは10月7日土曜日だった。
 聞き慣れたイスラエルという国名が久しぶりにテロという言葉と共に聞こえてきた。
ここのところイスラエルという国名は"イノベーション"とか"中東のシリコンバレー"などという経済的発展を彷彿とさせる単語とともに並べられて聞こえてくることが多く、今ではイスラエルに進出をはたしている日本企業も少なくはない。

ここに辿り着くまでのイスラエル国民とそこに関わる人たちの努力を、ほんの一部ではあるが私は知っている。戦争で語られることの多い国が、経済発展で語られるようになるためにどれ程の努力があったのか。
戦争と共に語られる国は、悲劇的でドラマチック、物哀しいイメージを持たれがちであるが、私もイスラエルという国を知った当初、25年程前には同じようなイメージを持っていた。当時のイスラエルはまだ『戦争をしている国』という印象が強い国だった。

そんな私が、本当のイスラエルの姿を知ったのはシモンというユダヤ人青年からのこんな言葉だった。
『イスラエルを戦争をしている可哀想な国だと思わないでほしい。僕たちの国イスラエルは、食べるものが美味しくて、自然豊かで歴史的建造物が豊富な美しい国だ。僕たちにも穏やかな日常はあり、家族との時間がある。だからイスラエルの文化的な美しさを伝えることで、イスラエルを平和な国にするのを手伝ってくれないだろうか?』
 「そんな大袈裟な」と思った。文化的な美しさを伝えただけで平和な国になるなんて…なんておめでたい人なんだろうと思った私が、それが間違いだと気づくのに時間はかからなかった。シモンの言葉には『観光立国を目指し、豊かな国になって、たくさんの国と仲良くできる国家を目指しているから、イスラエルのいいところを知ってほしい。たくさんの人にイスラエルを訪れてほしい。』という意味があるのだ。そのため、シモンとその友人たちはイスラエルやユダヤのことについて快く何でも教えてくれた。いいことも、悪いことも、本当になんでも嫌がらず話してくれた。
 毎晩のように、男女の区別なく、気の置けない仲間の一員としてイスラエルの話を聴くのは楽しかった。「自分はモロッコからの移民の娘だ」と教えてくれた女の子ナオミは金髪でクルクルした巻き毛だった。彼女は『タルタリーム!わかった?私のヘアースタイルはタルタリームよ‼︎ 』と自慢のクルクル金髪を指差してイスラエルの公用語『ヘブライ語』を教えてくれた。
彼女は父親がイスラエルでタイ料理の店をやっていると話し、得意なイスラエル料理をたくさん振る舞ってくれた。
中でも私のお気に入りは、スパイシーなトマトペーストに卵を落とした中東ではポピュラーな料理『シャクシューカ』だ。「卵は1人1個ずつ」がナオミ流だそうだ。

10月7日土曜日の悲劇をニュースで知った私の脳裏には、たくさんの友人たちの顔が、想い出が、鮮やかに浮かんできた。大笑いしたあの時のヘン顔、抱き合って泣いたクシャクシャの顔、喧嘩した時の本気の膨れっ面、思い出したら涙が出た。瞼が腫れぼったくなるくらい泣いた。彼らのために何ができるのか?

2週間以上悩みに悩んだ末に、今だからこそイスラエルが目指してきたものを友人たちとの想い出と共に紹介していこうと決めた。
『政治と宗教、戦争は当事者にしかわからないものだ。当事者でない君は関わろうとするな。口を出してはいけない。』これも友人の一人から聴いた言葉だ。
それなら、私は私にしかできないやり方でイスラエルの友人たちを応援しよう。
その先に平和があることを願って。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?