牛角・公共の利益・正義論

牛角の女性限定半額キャンペーンが炎上していた。

あのキャンペーンは果たして性差別にあたるのか。

当たらない根拠の一つは、牛角のキャンペーンが公共の利益を害することには当たらないということだ。

例えば、教育は憲法において全ての親が子に受けさせる義務がある。もし名字が「鈴木」の人は子に教育を受けさせてはならないなんて法律があったら、反発は免れない。それは男性・女性においても同じである。

アファーマティブアクションに関して今回は言及しないが、基本的には格差を是正・補填する意味合いがある。理系の女性枠は社会構造・歴史的経緯によって男性よりも女性が理系の学問を修めることが少なかったことを是正しようとする意義がある。もし社会において一定の均衡が取れた場合は、そんなものはいらないのである。その時こそ本当の平等がある。公共哲学では平等と公正という二つの用語があるが、後者にあたるといえよう。

牛角の例を考えると、あくまで企業の利益を考えた時のキャンペーンであり、一時的に焼き肉が安くないからといってそれは差別であるとは考えにくい。

しかしながら、商業と公共の利益は必ずしも切り離せないのは明らかだ。ローザ・パークはバスの座席が黒人と白人で分かれていることに不満を感じ抗議した。それは公民権運動にもつながっていく。

では公共の利益を害するかどうかの基準は何だろうか。

私は基準の一つとして、(1)ある基準の適用範囲が適切か(2)基準の適用理由は適切か(3)基準の適用期間が永続ではないかを挙げる。

(1)は、基準の適用によって区別をすることが適当かを分析する。例えば、小麦アレルギーのある人にパンではなく米を提供するのは適切である。なぜなら、アナフィラキシーショックを避けなくてはいけないからだ。狭すぎず広すぎない、適切な範囲である。

では牛角の場合はどうか。正直言って、男性か女性かの区別が適切かどうかは明らかではない。というのも、男性と女性の区別はあまりにも曖昧で広義であり、そこにどのような文脈があるかがより重要になってくるからだ。

(2)は基準適用に関する文脈を問題としている。アレルギーのものを出さないのは嫌がらせをしたいわけではなく、食事をする人の健康を守るためである。

牛角のキャンペーンはお肉をお得に食べてほしいからであって、一方の性別の人に嫌な思いをさせたいからではない。もちろん温情が必ずしも適切とは限らないが、そこに悪意や敵意があるとは考えないのが自然である。

(3)は今回最も重要な点だと考える。もしこのキャンペーンが永続である場合、牛角はより女性に来てほしいというコンセプトを打ち出していることになる。企業戦略としては理解できるが、男性側からは少し不満が出ることは予想される。ほかの店を利用するようになるかもしれない。

しかしながら、このキャンペーンはあくまで短期間のものである。(2)でも触れたように、そこには性別にかかわる敵視や悪意はない。企業キャンペーンの一部であるにすぎない。

正義が一時的な決断に関わるのか長期間にわたるものなのかと言う点は重要であるように思える。あまり公共哲学は詳しくないが、同様の論点はあるかもしれない。

もちろん、社会正義について議論が深まることは極めて大切だが、自分で説明できないような論理は脆弱であることがほとんどだ。さらにいえば、「○○はこういってたのだから、この場合は問題がある」のような言論は相手の論理の問題点をついているだけであり、自分の意見の正当性を示しているのではない。一呼吸おいて論理を検証するのが重要である。


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