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「教師ガチャ」大ハズレエピソード〔フォーカス【現象の考察】7 Ver.2〕

とある小学校に非常に優秀な児童がいた。

成績優秀、スポーツ万能で、成績表は常にオール5。友人たちからの人望も厚く、将来を嘱望されていた。

あるとき、担任の先生が、なにを思ったのかその児童の成績表を「オール1」にした。

意図的に。

そして、あまりの出来事に、訳もわからずショックに打ちひしがれる児童に対して、

「ショックでしょう?そのショックが大事なの。なにが悪かったのかよく考えなさい」。

と言い放ったという。

どうやらその先生は、

「この子はあまりにも完璧すぎる。"挫折"を知らないとダメになってしまう」。

そう考えて、「挫折」を経験させようとしたらしい。

思うに、その児童の「なにが悪かったのか」など、"一つ"しか考えられない。

「運」。



「挫折」と「災難」を履き違え、不要な絶望を与えてなお「正しい教育をした」。そう思い込む短慮な人物が、自分の担任に当たってしまったことに尽きるだろう。

「挫折」とは、自らの過失や至らなさを起因とする失敗それがなければただの「災難」であり、"意図的に"もたらした人物は、相手にとってただの「不運」でしかない。

ゆえに、親、教師、職場や部活内での教育係など、あらゆる教育者となりうる者は、この教師を"反面教師"とすべきである。

「教育者は、被教育者にとっての『幸運』になってこそ」ーだ。

なお後日談。

この話は、「あんな優秀な子がオール1!?」と、親御さんたちの間で話題となり、学校に通報が入った。

すぐに学校側で問題として取り上げられ、児童の成績は"正常値"へ修正。

当教師は学校を辞めさせられたらしい。

児童にとって一つ"益"があるとしたら、「こういう大人もいる」という事実を知れたことだろう。世の中正しい大人ばかりではないと。優秀なこの児童にとって、このことは大いなる学びになるだろう。

そういう意味では、まだ「幸運」に近いかもしれないが、少々「不幸中の幸い」「災い転じて福となす」寄り。

なにより、決して「挫折」ではない。

(2022/3/13に投稿した記事のリメイク)

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