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色音~言葉の色 音の色~

水色の音楽が好き
わすれな草やすみれ色の言葉が好き
朝焼けや夕焼け
澄んだグラデーションのような文章が好き

 子どものころ、数字や文字に色がありました。
例えば、1は白、2は赤、3は緑、4は黄色、5は青・・・・・・でした。

「一つの感覚の刺激によって別の知覚が引き起こされる」現象。
共感覚と言うそうです。

 文字を書けるようになると、左利きのせいか鏡文字を書いていました。
何故か、あ・ぬ・ね・めなど、難しい平仮名ほど確実に鏡文字で書いていました。
 私が反対なのか?この世界が反対なのか?まるで鏡の国のアリス。私はとても複雑な世界に棲んでいました。

 大人になりその感覚はだいぶ薄れているとはいうものの今も言葉に色を感じます。そして、その色には音があります。
「音色」と言う言葉がありますが、私には「色音」があります。
文章や言葉に色を感じ、音を感じます。心地よいメロディが聴こえる色や騒音や雑音が聴こえる色。それ以外にも様々なものを色で感じます。

 ある時、お蕎麦屋さんで一口お蕎麦を食べて、「翡翠のような綺麗な緑の味がする」と表現をしたら、蕎麦の実が緑の珍しい品種だと言うことを後から教えて頂きました。
 自分では意識していなかったけれど、味と色との共感覚も少しあるのだな・・・とその時に思いました。

 人も色で感じます。だから多分占い師は向いていたと思います。
でもその分苦しみも多かったように感じます。共感力が強すぎて相手の悲しみや苦しみを自分のことのように感じてしまっていました。
 ホテルのロビーでお客様を待ちながら、目の前を行き交うたくさんの人を見つめていると何となく”悲しい人”が分かりました。
色が違っていたから。悲しい音が響いていたから。      
泣いている人だけが悲しいわけではなく、笑っている人の中にも悲しい人がいっぱいいました。だからいつも一番悲しそうな人に「大丈夫だよ」ってロビーの片隅から心を贈っていました。

 大草原で四つ葉のクローバーを見つけるのが得意なのも、ひとつだけ色が違って見えるから。無意識にひとつだけ違う音を聴き分けているのかもしれません。

 なぜ、自分の中でそのようなことが起こっているのかと考えると、本能的に様々な色音を感じ取り、自分にとって心地よいと感じるものを選び、我が心の静けさを守っているのだと思います。

 点描画を描くことが好きで時々描いています。夢の世界で見たことや心で感じたことを曼荼羅のように描いていきます。集中すると心の深いところまで静けさが広がり無音の世界に居るような感覚になります。瞑想にも似た感覚の中にいることが心地よいのです。 
 作品を見てくださった方に「色は塗らないの?」とよく聞かれます。そんな時は「はい」と答えながら、「やっぱり私にしかこの色は見えないんだ・・・・・・。」「色の上に色を塗ったら濁ってしまう・・・・・。」
そんなことを頭の中でぐるぐると考えています。
もちろん綺麗な色の絵は大好きです。でも自分で描く点描画は、描いている段階で自分の中では既に色がついているので色を塗る必要がないのです。

 今、感じていることがあります。
最近、点描画を描く時にショパンやドヴュッシーなどクラッシックを聴いています。特に辻井伸行さんの弾くピアノが好きです。辻井伸行さんの色音は水のように流れ、そよぐやわらかい風のようで、いつの間にか自分も水になり風になり音になっています。ふと気が付くと筆が止まってしまっていることもあるくらいです。そんな時、究極は”透明な世界”なのかもしれないと感じるのです。
 
 透明な世界は”無”や”空(くう)”の領域で、凡人の私には到達できない世界。それは鏡の国に棲むよりも難しいことなのかもしれません。
でもいつか透明な世界を表現することが出来たら、色を塗ってみたいと想います。
美しい色を塗り、美しい音を聴いてみたい。
それは透明な色。透明な音。
矛盾しているかもしれないけれど、そんな風に想うのです。
 
 ここは標高1,000m。
少しでも透明な世界に触れられるように、今私は静かな色の中で生きています。

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