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暇な人間だな!
民主主義的な政治の限界をよくきく。
民衆が多数決を元に行う政治のありかただ。
多数決で決めるとはどういうことか
人気があれば勝ちということだ。
人気があれば、正しいかどうかは関係ない。ドイツも民主主義によってナチスを選んだように。
大衆扇動術を身につけたものが、勝ってきた。
情報合戦
扇動合戦
大多数の共感を得るために平易で分かりやすい言葉を使うこと、情緒に訴えたり、また不安を掻き立てることも効果的であるし、イメージを良くすることが何より大切だ。
昔も今も、大衆とは単純なもの。
日本ではメディアが扇動力を有している。
真剣な話よりもキャッチーな言葉を欲する。
民主主義では、踊らされることがメジャーでマジョリティとなる。真剣な問題提起や反抗や批判はマイノリティとなり、負ける。
ところが少数派とされるマイノリティの中でも、陰謀だとか表向きとか裏向きとかが何重にもかさなって、大多数との違いは根本的にあるのかどうか疑問になってくる。
AでなければB、それでもなければCという違いだけか。
自分の真実をもち、自分を大切にすることが現代の流行りだ。
自分の考えを貫いたり、ゆく道を作って他から飛び抜ける、大多数に足並みを揃えない。そして理解者だけが集まり、ほかの考えの人々とは別にゆく。
これからはそういうコミュニティづくりが大切だと言われている。価値観を共有できる者同士が『つながる』のだと。
価値観の違う人とは自然と離れて、同じような思想の人だけで集まる小さな村社会の復活だそうだ。
さて、どうだろうか。
単純で簡単すぎやしないか。
つい『それがいい!』と飛びついてしまう。他の人とは考え方が違うから、話しても通じないから関わりたくない。
しかし地球は『みんなでないと意味がない』のだとしたらどうだろうか。
また小さなコミュニティが分裂をつくるとしたら、新しい考え方も、古い民主主義と大きな違いはないのではないか。
みんなが、この地球を形作るパズルのピースだとしたら…地球は人間の身体のようなものだとしたら…
思想をもとにコミュニティを切り離せたらそりゃあ簡単だけれど、そうは問屋が卸さないかもしれない。
宇宙は混沌としている
ポジティブはネガティブだ。
集合意識で私たちは大多数に引きずられる。簡単に種を抜けられない仕組みになっている。
この大地が、空気が、水が、私たちを繋げているために、いまだ世界はみな同じように『進んでいない』
結局『一部の抜け駆けは進化に値しない』としたら…分離を、輪廻を、繰り返すばかりではないか。
そんなことをつらつらと綴り
こういう遊びをしているので、私、暇な人間。
またブログを書くのに夢中になって、電車でマスクをするのを忘れてた
こんな勝手な文を読んでくれて、ありがとう。
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