新しいことを勉強して学ぶ喜びを思い出そう

英語を第二言語として学ぶ者にとって、英語の勉強に終わりはない。どんなレベルの本でも読めば知らない単語や表現はいくらでも出てくる。先日も基本的な単語の発音の強勢(強く読む部分。よくアクセントと言われるが、英語では普通stressと言う)の位置を勘違いして覚えていたことに気がついた。学びはどこまでも続いていく。

とはいえ、一応それなりのレベルには到達した。イギリスの大学院を修了し、TOEICでも英検でも上限のスコアに到達した(IELTSではまだ満点が取れていないが、趣味で受けるには受験料が高すぎる)。上述のように、新しく学ぶこともまだまだあるが、新たに「できるようになった」という感覚を得ることはなかなかない。いわゆるプラトー期(学習停滞期)である。

学習はどんなものでも開始時(初級者である時)が一番成長しやすい。知らないことだらけの時は基本的な用語から簡単な技能まで全てが学びである。この時期は何もかもが新鮮で、昨日までできなかったこと(0=ゼロ)が、できる(1=イチ)ようになり、その喜びは大きなやる気につながる。ところが、やがて成長は頭打ちになる。すでにある程度できることがもう少しだけ上手になることにより得られる喜びは小さい割に、それを得るために要する努力は多大である。これまで全く勉強しておらず0点だった人が50点を取るのは簡単かつ勉強の成果がはっきりと眼に見えるが、すでに努力して80点の人がさらに努力して85点、90点を目指すのは非常に大変だ。それに、「すでにある程度できる」と言う感覚があるため、もうこんなものでいいだろうという気持ちも付きまとい、モチベーションを上げるのも容易ではない。

そのような場合、他の新しい学習を始めてみるのもいいかもしれない。私の場合はPythonと統計のR言語である。少し前までプログラミングとは何かもよくわかっていなかった人間にとって、プログラミング言語を学ぶことは新鮮で、簡単なことができるようになるだけで日々喜びを感じている。すでに大人としてある程度経験もあるため、「できるようになって楽しい」と言う感覚は久しぶりだ。それに、プログラミング言語は基本的に英語が元になっているため、英語の知識がある者は学ぶ際にアドバンテージがあることもわかった(例えば、相関係数を得るためのコマンドはcorrelationの頭の部分を取りcorであるなど、英単語をよく知っていればコマンドは覚えやすい)。これまでの学習が報われる気がする。この前向きな気持ちが、また英語学習の方も頑張ってみようかなというやる気にもつながる。

つい最近、大谷翔平選手がクリケットを練習に取り入れて、それが野球の打撃にも好影響を与えたというニュースが話題になった。真偽は不明だが、新しく始めた運動によりついた筋肉や感覚が、これまでやっていたことをさらに良くするために役に立つというのは想像しやすい。プログラミング言語という人工言語を学ぶことが、英語という自然言語の第二言語を学ぶことにどのような影響を与えるのか、今後が楽しみである。


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