デフ・ヴォイスを見ながら

昨晩放送されたばかりの、NHK『デフ・ヴォイス』。
https://www.nhk.jp/p/ts/D6P3JWP8J7/
前編、後編と分けて放送されるとのこと。
見逃し配信で少しずつ見ています。
考えさせられる、「聞こえるから通訳しろ」と言われてしまうこと。
家族の中で一人(自分だけ)聞こえることは、喜ばしいこととは言いにくいと思う。
そんなことを考えながら、自分のことを振り返ってしまうので、なかなか話が先に進められない。

自分だけが聞こえない、他の家族はみな聞こえる。でも通訳なんてない。
聞こえないお前(私のこと)が悪いんだから、黙ってろ。
私という聞こえにくい存在が、親から冷たく当たられるところを見て育ったきょうだいたちは、今で言うモラハラ気質になっている。

どうせ障害持ってるから、家族から甘やかされて育ったんだろう。

私は自分で読話を身につけ、発音を18年かけて矯正してきた。それだけでなく、会話の方法も漫画や童話、小説などでパターンを頭に入れてきた。
もちろん、会話の使い方を間違えて怒鳴られたことなど、枚挙に暇がない。
コミュニケーションはそれだけハードルが高いものだ。

後編が始まるまでに、前編をきちんと見終えることが出来るか、不安がある。
出だしから心が苦しい。
さらっとフィクションドラマとして見ることが出来る人もいるのに。

この間のカウンセリングで、
「どうしてあのメンバーで家族になってしまったんだろう」
思いがけない言葉が私の口からこぼれた。
私から何かを感じ取ってるとは、到底思えないきょうだい。そして母親。
父親は亡くなる数年前に、分かり合うことが出来たけど。

私のデフ・ヴォイスは、私が棺桶に入った後も、きょうだいには届かないままなんだろう。

どうしてあのメンバーで家族になってしまったんだろう。

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