見出し画像

知られざる闇

SNSで見かけた「生放送に字幕をつけて下さい」の意見、とても厳しい言葉で綴られていました。
それを読んだ方々の言葉には、「◯◯というスマホで見れば、同時通訳されていますよ」とか、「言い方がキツいよね」などなど。
どうして同じテレビで楽しむことが出来ないんだろう、これまでもそうで押さえ込んでいた我慢が溢れ出しての厳しい言葉であったと、私は感じています。
スマホでならという提案、その方なりの親切なのでしょうけど、それは疎外感を生み出しませんか?テレビじゃなくて、そっちで見れば?と突き放して言われたに等しいです。
 『ディナーテーブル症候群』という言葉をご存知でしょうか。同じテーブルについていても、聞こえないことで孤立無援になってしまうこと。
それがどんなに悲しいことか、味わった経験はおありでしょうか…
情報保障は過去からずっと、声をあげてきた私たちにとっては必要不可欠なものです。
手話という言葉を奪われた歴史(と呼べるほど、昔の話ではなく)を持ち、聞こえないことで日本語が得られない難しいものであり、マイノリティとして生きていかねばならず。
同じようにエンターテイメントを楽しみたい、大事な情報を得たい、マジョリティの人達が難なく得ているように私達も欲しいのです。

聴覚障害を持つ登場人物が描かれているドラマが人気だそうです。(私は見ていません)
手話に興味を持たれた方の中に、どれほどの人達が私達の闇の部分に目を向けられるのでしょうか。
たかがフィクションのドラマだけれども、影響の出方によっては感動ポルノだったのかと嘆かなければならないのか、そんな不安を払拭する方向に向かってほしいと願わずにはいられません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?