見出し画像

Shhh!

昨日からDEATH STRANDING案件で調べている。
シーッ! d( ゚ε゚ )の仕草の由来について、僕が納得できた説。

参考というか後半部分は丸パクリ
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/771311.html とWikipediaより引用。

最古のジェスチャーはカイロ 考古学博物館
第19王朝のファラオ ホルス神に守護される子供のラムセス2世像。

紀元前のエジプトでは子供の姿は指をくわえる格好で描かれていたことが多かった。可愛さを重視した彫像で、頭の上に乗ってるのは太陽神ラーを装飾としてエイヤ!と乗っけた。という感じ。

 まずはこの彫像のモデル ラムセス二世について
ラムセス二世は紀元前1286年、総勢2万の兵を率いてカデシュの戦いでムワタリ2世率いるヒッタイトと戦った。苦戦しながらもラムセス2世の第21年(紀元前1269年)、エジプトとヒッタイトは平和条約を結んで休戦。ラムセス2世はこの戦いの栄光を自賛するため宮廷書記ペンタウルに詩を作らせ、カルナック神殿からアブ・シンベルに至るまでの大神殿の壁に詩を彫らせた。
 ラムセス2世は、紀元前1290年に首都をテーベからベル・ラメセス(ナイル川のデルタ地帯の東)に遷都した。また、テーベ、ルクソール、カルナックの神殿を整備した。テーベには葬祭用の巨大な「永遠の城」ラメセウスを建てさせた。そして、ヌビアにも多くの記念建造物を建てさせている。ラムセス2世は戦勝の記念碑を多く築き、現在もっとも記念碑の多く残るファラオとなっている。ラムセス二世を称える、自賛のために 「小さい頃のラムセスかわいいでしょ像」 の頭に太陽神ラーが乗っていることが事の発端らしい。
 では、太陽神ラーと沈黙の神ホルスを見比べてみよう。

左が太陽神、右がホルス神。同一視されても不思議はないかと。
実際本家のエジプトでも同一視されてたので、異文化のギリシャが取り入れた時に混同しても不思議ではない。
実際にギリシャにに渡るとこうなる

ローマはヴィッラ・アドリアーナ ( Villa Adriana ) から発掘されたギリシアの沈黙の神ハルポクラテス。沈黙のポーズはこの神の名前から「 Signum harpocraticum 」と呼ばれます。 ( Roma, Musei Capitolini )
まだ、おしゃぶりポーズですね...エジプトの神ホルスは幼児の姿で表現されることが多く、ゆえに指をくわえる姿。このおしゃぶりポーズが解釈され、ギリシアとローマに伝わりました。

ジョットーが描いた「従順 ( Obbedienza ) 」のアレゴリー。地味な服に身を包んだ女性が沈黙のポーズ。1325年ごろの作品。 ( Firenze, Santa Croce, cappella Bardi )

 「戦う聖人たち」 にも登場した聖ピエトロは異端と戦ったドメニコ派の修道士。 ベアート・アンジェリコ ( Beato Angelico ) が1435年ごろに描いた作品。 ( Firenze, San Marco )
1300年頃にはもう沈黙という意味でこのジェスチャーは使わていたんだろうと思う。

そして、冬至の時期に祈りを捧げる女神アンゲロナのポーズとして定着。この女神がこのポーズで沈黙を守ることによって、太陽は冬至の季節を乗り越えて再び活力を取り戻す、という信仰となる。
 ルネサンスの時代になるとこのポーズは哲学者や学者たちのシンボルとなります。「余分なことは言わない賢者」って感じでしょうか。古代文化がよみがえったこの時代、このインテリたちのポーズは物書きと解釈の神とされた「ヘルメス ( ローマではメルクリウス ) 」の象徴となり、新プラトン主義の風潮の中で17世紀までこのジェスチャーはよく描かれた。

 砂漠などをひとりでさまよう隠者たちのシンボルでもありました。ゆえに聖ベネデット、聖ドメニコ、聖ブルーノとウーゴ、聖ヴィットーレといった修道会の創始者たちの象徴となり、修道院内の食堂、通路、共同寝室、扉や明り取りの窓の上などに沈黙や言葉の制御を促す訓戒として描かれていった。ここまでくるともう僕らの知ってるシーッ! d( ゚ε゚ )と同じ意味合いになってきた。

宗教家ピエトロ・ペッティナーイオ ( Pietro Pettinaio ) 。その誠実さと敬虔さで有名であったこの宗教家、12世紀初頭に生まれ107歳の長命だったそうで…
 この絵は原点回帰というかラムセスと同じおしゃぶりポーズに近いなという印象を受ける。

 14世紀のボヘミアの司祭で聖人でもあるネポムクのヨハネは、王妃の告解の内容を王にあかすことを拒んだため拷問にかけられ殉教されたと言われていて、やはり口に指をあてたポーズで表現されている。聖母子像において幼児イエスがこのポーズを取っているときは、「三位一体の第二位にあるイエス」を表現している。このポーズがシンボルでもあるボヘミアの聖人ネポムクの聖ヨハネ像。

 ざっとラムセス二世から聖人ネポムクまで解釈の違いによって幼稚性をあらわす記号から、自己顕示欲へ...そして沈黙という宗教的意味合いまでの所作としてシーッ! d( ゚ε゚ )という表象が変遷していくのを追っていけてかなり満足。
 紀元前1200年頃のラムセス可愛いでしょ像を始めとしてギリシャに渡り頭に乗ったラーも変容し、沈黙の神ホルスと合流する。1300年ごろにはすでに広まったシーッ! d( ゚ε゚;)という所作と差別化を図り、キリスト教が指の腹を唇につけるポーズ、バブみのあるおしゃぶりへと原点回帰させ、14世紀のネボバグによって、バブみと沈黙は差別化はなくなりシーッ! d( ゚ε゚;)という沈黙を要求する所作へと表象を変えていった。というのが僕の理解だ。

 ラムセス二世の自己顕示的バブみとギリシャの勘違いから世界共通の表象が生まれたとすると前回考察した裏テーマ、DEATH STRANDINGのINNOCENCEともつながりを持ちそうではある。
つまり赤さんの脳の複雑性がなければできないウィンク、
おしゃぶりポーズから発生したシーッ! d( ゚ε゚;)という表象これはなんらかの対比になってるかもしれないともう少し勘違いでも掘り下げたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?