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消えた仏師

 仏像を一本の木から掘る。そのことを一木造(いちぼくづくり)という。そして彫る人間のこと仏師というのです。
 そんな一人の仏師のお話。
 とある村、大工も仏師もこなす器用な人間が一人いた。名を「能天熊」。名というよりこの時代の呼び名、あだ名である。とある仏師の弟子となり今はこの村と川沿いの両隣の村に用があれば、仏を彫りに行く。大きさにもよるが1日で終わることもあれば、一ヶ月、二ヶ月もかかることもあるのである。彫ることもあるし、修繕、直すこともある。
 「能天熊」というあだ名を呼ばれることはごくごく稀で、皆にはそれを更に略し「熊さん」。あるいは、隣の村から借りてきた大工という意も含め「借り熊さん」と呼ばれていた。橋を作ることもあれば、けん玉、こけしも喜んで作るそういう人間だった。
 熊さんには一人弟子がいる。荷物持ち。前の生業は木こり、一人の男、木を選ぶのに重宝すると熊さんはこの男を雇ったというより、従えた。
 この弟子は両隣の村の中間にある山で獣を獲っていた。いわばマタギ、狩猟生活と木こりで生計を立てていた。
 今日も木を選び、仏像を直したり、仏像を掘ったり、地蔵を直したり、仏像を彫る。

 さて、とあるお寺の依頼が人づてにやってきた。寺の名は「清寧寺」。
そこまで栄えたお寺というよりも数十人の坊主で村の農業をしたりと半農半僧の質素なお寺である。
 仏像を一つ、一木造(いちぼくづくり)で六尺ほどで作って欲しいと依頼があった。借り熊は考えた。
『果たして、この小さな村でこんな大きな仏像を管理できたものか?』

 寺の本堂、つまり仏像が置かれる場所は長い参道、階段の先にある。
木こりは借り熊に聞く。
「どうしますか?能天様。掘ったとしても本堂まで村の全員で持っていくにも、ひと苦労です。」
借り熊は答える。
「確かにな。一木堀とはなかなか難しい。ワシらが掘ったとしても、さて、どうする?」
「能天様。中をくり抜いてはどうでしょう?一木造(いちぼくづくり)とは村の者もわからんぐらいに綺麗に木目を合わせて作りましょう。そうすれば軽くて丈夫な仏様が出来上がります。」
「なるほど、やったことはないがやってみよう。六尺ならばなんとかなる。」

 次の日から借り熊と木こりは今まで掘ったことのない、中が空洞の仏像に手をかけた。木を調達し、借り熊と木こりは掘った。まずは外側、背中を木こりが正面を借り熊が。一体の、一木堀の仏像がひと月で出来上がった。

「さて、どうします?能天様。背中、正面で真ん中でぱかっと割って中をくり抜く作業に入りますか?」
「いや、それは木目が途切れる。しかし、中を空洞にはしたい。どうすれば良いだろうと昨晩、考えた。少々、罰当たりだが、仏の首を切って、そこから胴体に向けて穴を掘り進める。そして、最後に首をつなげる。」
「さすが、能天様。それなら継ぎ目は目立たない。ああ、さすが能天様。」

 そういって、二人は掘り進める。木こりは頭をくり抜き、借り熊は胴体から足先を彫り始めた。

 首から上、つまり仏像の頭の中はすぐに、十日しないで彫り終わった。
 しかし、問題は胴体の方である。体積も面積もそして、作業のしやすさも全く違う。
 借り熊は身を乗り出し、仏像にかぶりついて首から先を掘り進めた。木こりも気を使って交代しましょうと提案するも、ワシがやるといったのだ。と三日三晩、首のない仏像に張り付いて離れない。夜ごとにカッカッカッ…と彫る音だけが月に反射する。
 何も食べず、みるみる痩せる背中に木こりは心配しかなかった。自分が提案した仏像を空洞にする方法もここまで師匠に労力を使わせるとは…いやはや…どうやって止めようか。毎夜、毎度、毎刻考えた。

 ある日、程よい袈裟の僧が一人訪ねてきた。収穫の秋も近づいたころである。僧は言った。
「明後日、収穫祭があるので…未完成かもしれませんが、本堂にある程度お披露目したいのですが…」
借り熊は言った。
「ならん。まだだ。」
「いや、本堂には柵を設けて遠目ではわからんようにします。」
 これは良い口実だと稲妻が走った木こりは蝿のようなしつこさで畳み掛けた。
「能天様!外側は完成でございます!ここでお披露目し、皆に感想を聞いて見てはいかがでしょう!中途半端ものを見せられない。その気持至極わかります!
 しかし、半端なものが、途中のものが落胆されたとてそれは良いことではないのですか?
 ここまで費やした三月(みつき)。これから胴体の中を彫るのにあと二月(ふたつき)は掛かります。外側を見せて無骨なものだと村のものが言った場合。ここまでの三月も無駄になります。ならば!ならばですよ!能天様!一旦お披露目して村の者の話を聞くいうのも悪い話ではないと!思われませんか!」

 ひっきりなしに蝉のように続いたノミの音がピタッと止まった。
 能天は長く伸びた髪を邪魔くさそうにしながら仏像から離れた。
 能天は腰を叩いた。
 この景色を、能天がまともに直立して立ち上がったのを久々に木こりは見た。
「たしかにな。なるほど。この程、ワシはまともに飯も食うとらん。
外側はできている。良いことを考えるな。木こり。」

 木こりはその姿に愕然とした。今まで仏像に前のめりになっていて気が付かなかったが、まるで腹が出て餓鬼の風貌の能天に。

 その姿を見て僧も驚いた。僧の口が動いた。
「鬼…」

 あくる日、本堂に持っていくことになった。木こりも一緒に何名かの坊主と村の者で長い参道を上がっていく。借り熊は作業場で休んでいた。どうやら熱があるという。

 借り熊は参道を夜になって登った。木こりもついていく。
「能天様。体を治されてから作業にとりかかったほうが…」
「バカいうなアレはまだだ。まだできとらん。」
「今回の仏像だけ、なぜこんなにも…。」
「ワシの体だ。一番わかる。もう、そう長くない。」
「なりません!能天様!」
「お前に出会う前、去年の五月にワシの師匠と共にいてな。その人は、あの人は…彫り続けた。だから、ワシも。」
 一段、一段。
月のない階段を登っていく。止められない木こり。登っているのか止まっているのかわからない能天。
 木こりは能天を背負った。というより担いだ。赤子のように担いた。髪の毛が風とともに首を擦った。
「わかりました。行きましょう。」
そう言って、二人は登っていく。秋の湿気の香りがした。黒い紅葉が見えた。
担がれた借り熊は言う。
「ワシが、なぜこんなにこだわると思うのだ。木こり。」
答える。木こり。
「わかりません。」
「昔、師匠が火事で死んだ。燃えている家屋の、柱の向こうにいる師匠を見た。逃げ出したワタシと目が会うと師匠は胡座をかいて、枕元にあった彫りかけの小さな仏像をまるで赤子のように抱いたのだ。その光景をこの仏像に見ている。いや見せられているんだ。」
「だとしても…死んではなにもなりません。」
「お前に言われると二重に重たい。肩にのしかかる。」

 真っ暗な参道を抜けて、本堂についた。木こりの経験からか全く木こりは疲れてはいなかった。不思議と登るほど楽になる。借り熊はそれほど軽かった。

「能天様。彫るのですか?一応持って来ました。」
「おう、やろうか。明かりを頼む。」
 借り熊はまた仏像にかぶり付いて中を空洞に彫り始めた。手元を照らす木こり。
しかし、中までは照らせない。借り熊は手で感触とたまに手で叩いて見て薄さを確かめた。その手は細く、爪は木くずで白く、波打つ木目に何度も触れた指先は赤くなっていた。

 日が昇る。朝になった。どれだけこの音を聞いただろう。カツカツカチ。そして、何度かため息が聞こえる。隙間風の細いため息だ。

 朝日が昇りきり彫りすすめると能天は言った。
「木こり、腹が減った。なにかもってこい。なんでもいい。」
「わかりました。参道を降りるので少し掛かりますが。」
「安心せい、できた。ワシも生きて完成まで…とは…思わんでな。」
細い声が、嬉しそうに細い。
「わ、わかりました。すぐにここで!二人でなにか食べましょう!祝杯ですね。」
「ああ…祝杯だ。」

 木こりは下った。一段、二段飛ばした。夜は見えなかった紅葉が美しい。夜見えなかった月が、昼には見えた。
 
 そして、寺で沢庵を何切れかと握り飯を2つ持って駆け上った。
 
 が、そこに居たのは仏像だけだった。誰も居なかった。木こりは完成した仏像、つなぎ目のない仏像を撫でた。同時に能天を探した。
 
 どこにもいなかった。握り飯2つ持ち、探しながら、探したいからか、それから木こりは疲れ果て。叫び果てて。

 どこかの山に住んだ。そして、木こりに戻った。

 木こりはそれから20年ほど歳月を重ねた。山小屋で作った炭や、毛皮を町へ売りに行く。
そこで噂話を聞いた。

「なんでも、昔、祟られた仏像があるって聞いたんだ。夜毎カツカツと彫る音がするって、祟りのせいか本堂もお寺もまるごと山火事で焼けちまったって。」
「どこの寺だい?」
「せい?てい?ねい?じ?」

 木こりは立ち上がった。目を開いて、向かった。かつてのあの寺に。

 もう、あのときの紅葉はなかった。ところどころ青々とし、そして黒々としていてた。山火事の建物があった。背負ってる炭なのか、焼けた煤の匂いなのかわからないほど何もかも感覚が麻痺していた。

 蝉の鳴く中。あの参道を上がった。炭が重い。カラカラと音を鳴らす炭が重い。肩が重い。能天様よりも重い。上がると開けて、そこも真っ黒だった。大きな一本杉だけが立っていた。

 仏像はなかった。もしかしたら、能天様にもう一度、もう一度。そう願った一段一段はまるで徒労。足が一気に重くなる。
なぜだ。
かつて、仏像があった場所まで来た。遠目に燃え尽きた炭のような白い何かがあった。西日が差し込んだ、見えた。さらに近寄った。カラカラとなる炭。ズリズリと引きずる足。台座に近づいた。
「ああ…これか。」

骨だ。髑髏だ。

 そうか、能天様はどこにもいっていなかった。「完成した」と言ったのは自分がその仏像の中に入り、彫り続ける空洞ができたということだ。
夜毎、中を空洞を、彫り続けたのか…
木こりは涙は出なかった。嗚咽だけが出た。目をつぶって木こりはかつてあった母子観音を思い出す。

 木こりはすぐに参道をゆっくり下る。段差のせいか頭が振動した。それとともに涙が落ちた。カラカラと炭は鳴る。
 木こりは知らない人間ばかり。風景の知った村で木こりの背負っている炭の全てと、握り飯三つと葉野菜の漬物と交換した。

 音は鳴らない参道。もう聞こえやしない。木こりにはせせらぎも木陰のざわめきも聞こえない。炭か、消し炭の香りも感じない。途中から走った。
 一段飛ばしで走った。足が軽い、肩も軽い、何もかもが軽い。

 燃えた仏像跡の前に来た木こりは握り飯を2つそこに備えた。
手を合わせて、そして一つは自分で食べた。塩味が濃くなった。

大きな頭蓋骨と小さな頭蓋骨の前に座った木こりは言った。
「せっかく、軽くしたのにねえ…借り熊さん。燃えちゃうんだもんなぁ。」




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