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ハネネズミと死――ミステリとしての石黒達昌

「平成3年5月2日,後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士.並びに,」は、石黒達昌の短篇です。正確に言えば短篇そのものは無題で、「平成3年……」は、その冒頭の文章となります。
 以下の文章は「平成3年……」のネタバレを含む……というか、ネタバレそのものです。

「平成3年……」は、第110回芥川賞候補に挙げられたことでも知られています。
 長らく手に入れにくい短篇でしたが、2021年、伴名練が編纂した『日本SFの臨界点 石黒達昌 冬至草/雪女』(ハヤカワ文庫)に収録されたことで、ずいぶん読みやすくなりました。
 ハネネズミという架空の生き物に関する、冷徹でありながらどこかリリカルな、不思議な短篇です。

 さて、小説の冒頭では、明寺伸彦博士が後天性免疫不全症候群で死去したことが語られます。
 この部分について、さる論文で以下のように触れられているのを見つけました。

「後天性免疫不全症候群」については、奇を衒って読者を引き付けようとした意図が窺われ、表題に記されるほど重要な要素とはなっていない。

九州産業大学国際文化学部紀要

 そうではありません。
 奇を衒ったのではないし、重要な要素でなかったわけでもない。
 明寺博士が後天性免疫不全症候群によって死亡した事実こそが、この小説にとって、もっとも重要なポイントです。
 カシオミニは所持していませんので、ユニボールシグマを賭けてもいい。
 死亡した明寺博士の遺体からは、ヒト免疫不全ウイルスは発見されなかったはずです。

 ではなぜ、博士は死亡したのか。
 その真相は明記されていませんが、暗示されています。
 明寺博士の、そして研究を共にしていた榊原博士の、そしておそらくはハネネズミを民間で研究していた石川氏の死には、理由があります。

 彼らが何故死亡したのか、『日本SFの臨界点』を編んだ伴名練は解説で、はっきりとは書いていません。
 なぜか。
 それが事件の真相そのものだからです。
「平成3年……」は、明寺博士の死の理由を問う、そしてハネネズミの生態を推理する、一篇の推理小説として見ることが出来ます。そして推理小説なら、解説において真相を書かないのは、抑制の効いた、常識のある態度だと言えます。

 ただ伴名練は、なにもヒントを残していないわけではありません。
 彼は解説の中でこう書いています。

本作には、後年の発表作である「冬至草」「雪女」に変奏されるモチーフも散見され、石黒にとって大きなターニングポイントになったことが見て取れる。

『日本SFの臨界点 石黒達昌 冬至草/雪女』解説(伴名練)

 まさに「平成3年……」と「冬至草」は兄弟作、同工異曲です。

「平成3年……」で明寺博士らがなぜ死去したのか、その理由についてネット上で書いた記事は、現在のところ、見当たりません。
 それはそうでしょう。作者が伏せたことを書くのは、推理小説愛好家ならずとも、ためらいがあるものです。
 わかっている人は書かない。わかっていない人は、わからない。
 だから明寺博士がなぜ死亡したか、ハネネズミがどんな生き物なのかは、書き残されていないのです。

 芥川賞の選評も確認してみましたが、博士らの死因に触れた部分はありません。
 選考委員全員が「真相」に気づかなかったとは思えません。何人かは明らかに気づいていませんが、何人かはたぶん、気づいている(そうでありますように!)。
 誰も「真相」に触れていないのは、その「仕掛け」は必ずしも小説の良否にかかわらないからでもあるでしょうし、選評は評論の場ではないからでもあるでしょう。

 ここまで長々と書いたのはほかでもありません。
 この先、私はネタバレを書くからです。
 誰も書かなければ、「平成3年……」とはどういう小説だったのか、後世に残らない。
”奇を衒って読者を引き付けようとした意図が窺われ” という評価だけがネット上に残るのは、あまりに無念に思われるのです。
「平成3年……」にご興味のない方、「平成3年……」を未読の方、読んだけれど真相があるのなら自分で気づきたいという方は、続きをお読みにならないことを切に願います。

 ネタバレに入る前に、真相を示唆する手掛かりを書いておきます。
 私は、「平成3年……」の小説としての豊かさが、おそらくは作者も予期しない形でレッドへリング(偽の手掛かり)として機能してしまったのではないかと考えています。
 その豊かさをいったん取り除き、「死の理由」「ハネネズミの生態」に直接結びつく、かつ大きな手掛かりだけを並べてみます。

  • 明寺博士は後天性免疫不全症候群で死亡した

  • 榊原博士は筋委縮性側索硬化症で死亡した

  • 榊原博士の遺体には、「通常の病態とは異なった委縮や肥大を伴った種々の臓器変化が見られた」

  • ハネネズミは二匹が近づくと光り、近づくほど強く光る

  • ハネネズミの光は、写真に撮影できなかった

 ほかにもさまざまな手掛かりがあります(ハネネズミはなぜ体毛が発達していないのか、など)。
 が、しかし、もう充分でしょう。
 きっとおわかりになった方も多いはずです。
 最後にもう一つだけ付け加えます。
 私が思うに、おそらくハネネズミの光は青かったか、青白かったのではないでしょうか。


 では……書きます。








(いいのかな……ためらいがあるのは事実です。あまりに野暮だ。しかし……)
(閉じるならいまのうちですよ!)








 ハネネズミは放射性物質を体内に蓄えています。
 一匹なら問題ないですが、二匹以上が近づくと臨界に近づき、強烈な放射線を発します。
 博士らが見た光は、臨界に伴う光です。
(臨界時に発生する光がチェレンコフ光であるのか、チェレンコフ光は空気中でも見られるのかについては異論もありますので、ここでは単に光としておきます)
 強すぎる放射線は、写真のフィルムを台無しにしました。
 そして博士らは、重度の被曝による放射線障害で死亡したのです。

 思うに石黒達昌は、あまりにも多くの読者がこの「仕掛け」に気づかないことに驚き、あるいは落胆して、「臨界に至るほど放射性物質を蓄積する生物」というアイディアを、一般にもわかりやすい形にリライトしたのではないでしょうか。
 名編「冬至草」は、おそらく、そのようにして書かれたのです。

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