日記を書いて感情の整理を。
ほぼ日5年手帳を3月3日にアマゾンで注文して、4日から書き始めた。
でも私は何を隠そう三日坊主で、日記というものが続いたことがない。ほぼ日5年手帳は、そんな日記買っても続かない人間を代表する私が一筋の希望をかけて買ったものだ。
それがなんといまでもたまにすっぽかしつつちゃんと続いている。時々、「今日はなにもなかったしいいや」と思ってしまう日があって、3日後に空白のページを見返すとなんだか悲しくなってしまう。いや、自分がすっぽかしておいて自分で悲しくなるのはなんだかおかしな話だけれど、この空白の一日の私はまるでこの世に存在していなかったかのような寂しさを感じる。
ほぼ日5年手帳を買ったのも自分が生きた証をつけるためだった。
人生は要約できねえんだよ。(伊坂幸太郎『モダンタイムス』)
人生は日々の変わらない日常でできている。だからイベントごとをまとめてだれそれはこういう人生を送った、と要約されてもその人にとって重要なのは要約されて消えていった日々だ、ということらしい。
私が日常をつづったブログを始めたのは高校生の時からだけど、たぶん当時から、自分が感じた大切な思い出を忘れたくなかった気持ちがあったんだと思う。大学生になってからは、高校生だった時よりもずいぶん世界が広がった。だからこそ、自分の考えや価値観がめまぐるしく変わって、未来の自分が今の自分とは全く違う人間になっていくのをきっと恐れていた。
「みて、私はここにいるよ」という当時の私の想いをブログという瓶に入れてインターネットの海にのり半永久的に残ってゆく。昨日と今日の自分はたいして変わらないが、5年前の今日の自分といまの自分は大いに変わっている。人はそれを経験していないときにはもう戻れない。
今日寝て、明日また起きるころには、昨日の自分はもういなくなっている。
ほぼ日の5年手帳や私のブログは過去の私の遺書なのだ。
明日の、5年後の私が迷わないように。
けれども三日坊主の私にとって毎日書くことはやっぱり難しいなぁ。
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